みなさんの人生は「夢」によって創られています。
夢が本当の人生なのです。
すべての現実は夢で、そして、すべての夢は現実です。
行きたいところへ行きたいときに行けるように、物理次元と非物理次元の間の壁を溶かしてください。
以上を、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック6 ワクワクを生きると自然に「いま」を生きられる 』55-56ページより引用させていただきました。
この世に存在するすべてのものは、創造そのものが、無限の角度から自分自身を見るためのひとつの目であり、私達ひとりひとりは、その無限の単なる一側面だそうです。
だからこそこの現実は意識が見ている夢だというんでしょうね。
でもまあその夢の方が私たちにとっては大事なわけでして、その夢の中の現実でもっともっと有名になりたいとかお金を稼ぎたいだとか、夢をかなえようともがいているわけです。
私という個人が全宇宙の唯一の存在だとしたら、他人と触れ合うには夢を見るという手段しか残されていません。そしてその夢にいる間はその夢の現実が私にとっての唯一の現実です。
リアルではなく夢だからこそ、この現実は自分の自由にできるはずだけど、そう簡単にはならない。逆にこの現実は自分の自由にならないからこそリアルな現実だと思っている。
自分が創っており自由になる世界を夢だと思い、自分以外の何者かが創りそして自分では自由にならない世界を現実だと思っている。
もしこの現実が夢であるのなら、自分が住んでみたい素敵な家がある場合、ゼロからその家を出現させればいいように思うが、そんな話は聞いたことがない。あり得る話は、苦労してお金を稼いで土地を買い素敵な家を建てる場合と、お金に頼らない場合は、その瞬間で一番ワクワクすることをしていれば、結果的に素敵な家に住むことができる可能性(以前の記事に書いたように)が生まれる。
バシャールがこの現実は夢で夢が現実だという割には、夢であるこの現実には制限が多すぎて魔法のように一瞬で願いが叶う現象というのは存在しない。
ああそうか!全知全能で何でもできる自分というのがリアルな現実だとしたら、その自分が夢を見るためには自分に対して制限をかけなければいけない。何でもできる自分では夢を見ることができない。
全知全能のままの自分なら魔法のように一瞬で欲しいものを出現させられるが、それだと夢を見ることができない。何もできない自分だからこそ夢を見ることができて他人と触れ合うことができる。
全知全能で愛に溢れた存在の状態がリアルな現実、バシャールの今まで言って来たことを総合して考えるとそうなる。
全知全能で愛に溢れた光の存在がリアル。
何も知らない何もできない愛の欠けた闇の存在が夢。
そしてその夢の世界が現在私たちが暮らしているこの世界。
何も知らず何もできない闇の存在としてこの夢の現実を楽しもうと地球に生れて来たのに、なぜか私たちは全知全能な光の存在に憧れてそれを目指してしまう。
ゲームを楽しもうとしてゲームを始めてすぐにクリアを目指すように。
ゲームはクリアまでの過程が楽しいのであってクリアした状態そのものに楽しさはないだろう。
ゲームクリアは目指すがゲームをクリアしてしまうとあとは何もやることがない。
全知全能の光の存在であれば、何もやることがない。
何もやることがなければつまらない。
つまらなければ楽しくもない。ワクワクもしない。
だから全知全能の存在は、自分とは正反対のものを創り出した。
何も知らず何もできない闇の存在を創り出した。
常に何かをしなくてはいけない世界を創り出した。
制限が多く何かをしなくては生きていけない世界をわざわざ創造した。
創造主としての人生を楽しむために。
もしそれが真実だとしたら、でもそれが真実であったとしても、魔法のように一瞬で自分が欲しいものをこの夢の世界に出現させることは出来ない。なぜならその不自由こそがこの夢の現実の本質だからだ。不自由を味わいたくてこの夢の現実を創ったのだから。
不自由さと無知と闇を体験したくてリアルとは違う夢であるこの現実を体験しているのが私達。
私達という言葉を使っている時点で分離という現実とは違う夢であることを自覚している。
本当のリアルではすべてはひとつであり分離していないからだ。
本当のリアルは全知全能で愛に溢れた統一された唯一の光の存在。
それこそが現実であり、制限が科せられた闇の溢れる私たちの暮らすこの現実こそが創造主の見る夢の世界。

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