「自分の与えるものが、自分に戻ってきます」
自分の波動が、どのような現実を体験するかを決定します。
みなさんはエネルギーで創られていることは、すでに知っていますね?
物理的な物質も、単なるエネルギーが織りなすパターン、模様です。
そしてそれらは固有振動数をもっています。
これらの固有振動数が、ある瞬間のみなさんの性格を決定します。
そして、その瞬間の性格が、体験する現実を決めます。
以上を、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック6 ワクワクを生きると自然に「いま」を生きられる 』113-114ページより引用させていただきました。
この世に生まれた時点で誰もが皆肉体を持ち、そして肉体を持った存在となった時点で誰もが自分のことを第一に考える存在となる。
しかし現実というのは人間関係で出来ており、当然他の人間も自分のことを第一に考えている。
となると結果、誰かの自由は誰かの不自由であり、自由な人は良いが不自由な人は自分を不幸だと考えるようになり、自由を求めるようになる。
この場合の自由とは、元々の全知全能の存在により近いという意味での自由だ。
制限があり不自由な肉体に閉じ込められたからこそ誰もが全知全能であることが良いことだと思い誰もがそれを目指す。しかし誰かの全知全能は他の誰かの全知全能を奪う。それは物理的現実において肉体を持った個人が多数存在する世界では仕方のないことだ。
皆が等しく全知全能になれる世界は、非物理空間ですべてがひとつとなった世界でしか達成できないからだ。
本当は全知全能の存在が肉体を持ち不知不能の存在となり不知不能を知ろうとする。
不知不能を知ることで全知全能の存在はより全知全能へと近づいていく。
不知不能を知るために地球に肉体を持ってやって来たのに、地球では不知不能はネガティブな状態であり望ましくない状態であると皆が認識し、より全知全能であろうとする。でもこの場合全知全能を目指すのは間違いであるとなる。だって元々は全知全能の存在がより全知全能になることを目指して不知不能を経験する為に肉体を持ったのだから。
不知不能を味わうために地球に来たはずなのに皆それを忘れて全知全能を目指してしまう。
そして皆が全知全能を目指すからこそ不知不能な人がより増えていく、、、という地球に仕掛けられたトラップ。
地球の現実とは物理的な現実はどうでもよくて人間関係こそが現実である。
人間関係こそが唯一人間に幸不幸を与える唯一のファクター。
そして人間はだれしも幸福になりたがる。
一般的な幸福とは物理的な豊かさのことだ。
そして物理的な豊かさは様々な人間関係によってもたらされる。
物理的な豊かさは競争や他と比べることによって得られる。
他者を支配したりコントロールする能力に長けた人だけが競争を勝ち抜き他者よりより物理的に幸福な存在となり得る。
人間の幸福というものを物理的豊かさだとすると、どうしてもそこには他者との比較や競争、争いというネガティブな面が生まれる。そしてこれらネガティブな面こそ全知全能の存在が知りたかった不知不能の一面となる。
皆が全知全能さらに物理的な豊かさを求めれば求めるほど不幸な人が増える。ネガティブな経験をする人が増える。憎しみや嫉妬や絶望感やそれら愛とは正反対の感情を体験することが出来る。望み通り不知不能を経験できるではないか!
皆この地球に生れて不知不能で愛とは正反対の経験をして望みが叶っているのに、全知全能で愛の存在を目指せば、逆にもっと不知不能で愛とは正反対の経験をすることになり、より深く不知不能で愛とは正反対の経験を積むことが出来る。
全知全能で愛の存在が良いことであるというトラップが存在してはいないか?
全知全能で愛の存在であるのがデフォルトの存在が、不知不能愛の正反対を経験しに地球に来たのに。
皆が全知全能愛の存在を目指せば目指すほど、争いごとが増え、絶望や妬みや嫉妬心などネガティブな感情が増え、逆にどんどん全知全能愛の存在から離れていく。そういうシステムになっているのでは?
だって皆が私も含めていわゆるスピリチュアルに興味あるのは、人間関係を良くしたいからだし、その結果物理的に豊かになり他の個体より自分が優秀であると優越感に浸りたいからです。
競争に勝つためのスピリチュアルであり、他人を自分の望む方向に誘導するためのスピリチュアルです。
真のスピリチュアルの観点から言えば、あなたのその不幸な状態こそがあなたの望んだことなので、不幸な状態とことん有難く味わいなさい、、、となります。だってあなたは元々は全知全能愛の存在なんだから。正反対の体験をしたくてこの地球に来たんでしょ?

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