「The One」(ザ・ワン)と「All That Is」(オール・ザット・イズ)そして「自己認識=意識」の誕生 :『BASHAR(バシャール)2017』

オール・ザット・イズはザ・ワンの一部であって、このオール・ザット・イズは、自分がすべてであるということを「認識している」部分です。

それに対し、ザ・ワンは、「ただ存在している」と言えます。

以上を、ダリル・アンカ (著),‎ 喜多見龍一 (著)『BASHAR(バシャール)2017 世界は見えた通りでは、ない バシャールが語る、夢から覚めてありありと見る、世界の「新しい地図」。』15ページより引用させていただきました。

以下書いてあることをまとめてみます。

ザ・ワンは完全に均一であり、そこに他のものは存在しない。
ザ・ワンは自己意識がなく、自分が存在しているという概念さえない。
ザ・ワンは「ただ存在している」。

オール・ザット・イズは、ザ・ワンの一部(一側面)であり、自分がすべてであるということを認識している。オール・ザット・イズには自己意識がある。

オール・ザット・イズは、ザ・ワンのなかに「オール・ザット・イズの”反映”(reflection)」を創ったので自己意識がある。

これはどういうことかと言うと

オール・ザット・イズの反映ができたことで、”他のもの”が存在できるようになった。
他のものが存在するということは、比較対象が可能になったということ。
結果的に「わたし」という認識も可能になる。

「わたし」と「わたし以外のもの」が存在することになった。
「わたし」という認知と「他者」という知覚が生まれた。

「わたし」という認識は、自己認識であり、自己認識は意識と言える。
ここに意識は誕生する。

意識=自己認識

意識とは自分を認識すること。

オール・ザット・イズはすべてが意識でできており、オール・ザット・イズが生み出すものもすべて意識でできている。

ゆえに

すべては自己認識を持っている。
すべては意識を持っている。

以下私の考えです。

わたしとわたし以外のもの、という幻想を創ることによって
わたしという自己認識が生まれ、同時に意識というものが生まれた。

本来すべてはひとつである。(The One の状態)
だがひとつがひとつのままでは、何も起こり得ない。
当然自己認識=意識も永遠に生まれない。
永遠の静止があるだけだ。
永遠の静止とは本質的には無ということだ。
すべてがあるのにすべてがない状態。
すべてがひとつであるなら結果的には無と同じだというパラドックス。

しかし無は存在しない。何もない状態というのは何もないのだから存在さえもできない。
無は存在できないので、そこにあるのは空(から)だろう。
本来あるべきものが取り去られた状態が空(から)の状態。
空の中身はきっと”どこか”に存在している。

生まれるという言葉はそこに時間経過を前提としている。
しかし本来は時間は存在しないのだから、常に自己認識=意識はあることになる。

ザ・ワン、ただ存在するものは、ただ存在する一方で、自己認識もしていた。
ただひとつのものが、矛盾なく同時に、自己認識をしつつも自己認識を持ち合わせていなかった。

全宇宙に自分たった一人しかいないとする。
そのたった一人の自分は自分以外の人間を自分を参考にして”想像”によって複数創り出して遊ぶことを思いつく。

そうやって想像で作り出した架空の他人がかなりの数増えた。
そしてそれら架空の人間についてもそれぞれに背景となる物語りを創造した。

ある日全宇宙でたった一人の人類が眠っている時に夢を見た。

その夢の中には、今までに想像した人間がたくさん出てきた。
そして、たった一人の人類は彼らと楽しいコミュケーションの時間を持つことができた。

自分はどういう人類であるかを他のものとコミュニケーションすることによってはじめて知ることができた。夢のおかげだ。

こうして、たった一人の人類の夢の中にはすべてがあった。

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