雲 黒斎さん著の『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』という本に
「義務・犠牲・我慢」のご褒美としていただくのが「お金」だった。だからこそ、このとき「お金」に与えられた意味は「ストレスの対価」。自分の苦労や我慢が認められた証しだ。
とあります。
だからこそ、「そう簡単に手放したくない」という感覚が生まれるとあります。
自分が消費者の立場になった時も、金額の「高い」「安い」をジャッジする。
「これを提供するのに、そんなに苦労していないでしょう?だったらボリすぎです」とか
「これほど大変な苦労をしたのにこの値段なら安い」など
「ストレスの対価=お金」の観念になる。
さらにこの観念ゆえに「巨額を持つ」ことに抵抗感や恐れが生まれる。
「そんなにたくさんのストレスは背負えない」となる。
この観念だと、他者が裕福であることにも納得がいかない。
それ相応の苦労が見えるなら「すごい人だ」とほめるが、そうでない場合は「苦労もせずにお金を得るなんて!」と豊かである人が無条件に「悪」として映る……とのこと。
……ということで
私も「ストレスの対価=お金」の観念にどっぷり浸かっていることがわかります。(^-^;
特に何の疑問も抱かずにそう思っています。思っていた?
しかし、意識が「LTE」に移行すると感覚が一変するそうです。
好きなこと、やりたいことを、楽しみながら報酬を得たとしても、罪悪感が生まれない。
「ストレス」という尺度が存在しないので豊かさを素直に受け入れることができる。
「お金」の意味が、「ストレスの証し」ではなく「愛や感謝、喜びの証し」に入れ替わる。
「ストレス」ではなく「感謝」の対価になれば、お金を支払うときにも「奪われる」という感覚はない。
「支払い」という行為は変わらないが、「希少価値の奪い合い」から「豊かさの与え合い」になる。
……ということで
う~ん、という感じです。
いずれそういう世界になるのかも知れないが、いますぐにそういう世界になるとは思えないです。
でも、バシャールの言うような全世界の人々が一家族のような世界では、そういう世界になるんでしょうね。
強制ではなく、自然とみんながそういうことができるそういう世界に、いずれなるのでしょうね。
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