雲 黒斎さん著の『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』という本によると、
いや、おまえが真実に気づけたら、「苦しみがある(思いどおりにならない)」というそのことに、この世が存在する素晴らしさを知ることになるだろう。
とあります。
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で、ソースとの間に心の壁を築くから自我が誕生するとのことだったが、意外にも、「人はみな、自我を形成するために現象界に現れる」とのこと。
つまり、生まれたまま悟ったままでは、自我は形成できなかった。
偉大なるソースから分離することで自我を形成することができたが、それと同時に、思いどおりにならないという苦しみも生まれてしまった。
以前何かのテレビ番組か何かの本で、なんでもうまくいってしまう女性の話があって、嘘かまことか、なんでもうまくいってしまうので何をしてもつまらない、というようなことをその女性が言っていました。
その時は、そんな馬鹿な!と思っていましたが、最近は、そうなのかも知れないと思い始めています。
自我があるから思いどおりにならない。
でも、自我があるからすべてを思いどおりにしたいのであって、ソースとつながって自我が消滅すれば、思いどおりにしたいというエゴも消えてしまうはず……
なにかこの辺りに、いわゆるスピリチュアル自体が持つ矛盾点があるような気がします。
つまり世の中が自分の思いどおりにならないからこそ苦しみ、ある日スピリチュアルに辿り着く。
でも、スピリチュアルでは自我をなくせばすべてはうまく流れ出すと説く。
しかし、自我が本当になくなれば、世の中を思いどおりにしたいとは思わないはずだ。
だって、エゴがないのですから。
さらにこの本の言う「苦しみがあるからこそ人は素晴らしさを知る」というのと、バシャールの言う「毎瞬毎瞬ワクワクすることを行動に起こして行けばすべてはうまく行く」というのは、相反するようにも見えますが、同じことの別の面をとらえて言っているに過ぎないのでしょう。
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