数千年間慣れ親しんできた第一ステージ(キャラクター意識)に対する執着。また、惰性的習癖。それが「恐れ」、また、それに伴う「防衛反応」だ。 : 雲 黒斎著『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』kindle版をバシャール的に読む

雲 黒斎さん著の『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』という本に

数千年間慣れ親しんできた第一ステージ(キャラクター意識)に対する執着。また、惰性的習癖。それが「恐れ」、また、それに伴う「防衛反応」だ。心の壁を開くことに対する不安感だね。
外部(非我)の攻撃から自分(自我)を防ぐため。そして、内部(心)をのぞかれないようにするため。この二つの要因をもとに、心の壁の解放を拒んでいる。
が、人間はこの防衛反応(心の壁の存在)が自らを苦しめていることに気づいていない。

とあります。

自我がなければ他人との比較で苦しむこともない。
嫉妬することも怒ることも泣くことも憎むこともない。

野生の動物がそうであるように自らの感情によって自らが苦しむというのもない。

でも、動物は他の動物を自分の生命の維持のために殺していますね。
人間もある意味同じです。動物を殺して動物の肉を食べます。

動物は嫉妬や憎しみで他の動物を殺すことはありませんが、人間にはそれがあります。

心に壁を築いたから他人と比較することが可能になり、でもそれによって苦しみも生まれた。
さらに言えば、他人と比較して優越感にひたるという楽しみ?も同時に生まれた。

心に壁を築いてみんながバラバラだと信じることができたから、人類は勝つことの喜びを味わうことが可能になった。
ひとつの勝負事では、全員が勝つことは出来ない。誰かが負けなければ勝者は生まれない。

誰かが苦しまなければ誰かは勝利に酔いしれることは出来ない。

勝利で喜ぶためには負けを知らなければならない。
負けの苦しさがあったからこそ勝利は嬉しい。

もし、すべての人が自分であるのなら、勝ち負けは存在しなくなる。
たった一人で競争はできない。

競争ができなければ、競争に勝利した歓喜も味わうことができなくなる。
オリンピックも賭け事も恋愛も勉強も昇進も意味をなさなくなる。

他人と比較して競争することは楽しいことではあるが、同時に、負けると苦しいという負の面も持っている。
心の壁のおかげで楽しみもできたが、同時に、苦しみもできた。

苦しみから解放もされたいが、楽しみも捨て去り難い。

あるいはまだ自分は充分勝利に酔いしれてはいない。(←こう思うこと自体が「比較」している)

……と、そんな感じなのでしょうか。


もっと あの世に聞いた、この世の仕組み

MIL33003

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