雲 黒斎さん著の『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』という本に
すべては「分離(あれとこれは別なモノ)」という概念があるからこそ生まれるんだ。
とあります。
では仮に「分離」はないと仮定したらどうだろう?
だとするとすべては自分ということになる。
自分の現実にあるすべては自分である。
これはイコール現実は自分が見ている夢ということになる。
いや正確には現実のすべてが自分であるという世界で、私が知っているものは、夜見る夢だということだ。
しかし、夢の中でも分離は行なわれている。
夢の中に出て来る他人はやはり他人だとして夢の中では認識している。
もう一度、そもそも「分離」という概念が存在しなければ、どうだろう?
「分離」という概念が存在しなければ、おそらく「すべてはひとつ」という概念のみが存在する世界なのだろう。
すべてがひとつであるのなら……
すべてがつながっている
私だけが存在する世界
真我だけが存在する世界
だがしかし、そもそも「ひとつ」という概念自体が、「たくさん」という概念を前提としたものだ。
初めから終わりまで永遠にすべてが「ひとつ」であるのなら、「ひとつ」という概念でさえ生まれなかったに違いない。
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