雲 黒斎さん著の『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』という本に
その「定義」が揺らがぬよう、その意味や価値を他のものと関連づけて一つの物語をつくるんだ。まさに「架空の出来事・人物・舞台を設定しようとする試み」だな。
(中略)
そうやって書き上げられた意味と価値の集大成、物語の一つひとつが、人間が「人生」と呼んでいるものなんだ。
とあります。
つまり各個人の世界観、人生観と言うのは、数あるあまたのフィクションの内の一つに過ぎない。
よって、各個人の世界観や人生観は、本来の真実(ありのまま)とは程遠いものだ。
しかも、それを真実だと思っているところに苦の発生原因がある。
とでもなるでしょうか。
となると、あらゆるものに意味や価値をつけざるを得ないすべてを決めてつけてしまう自我が少し哀れに思えてきますね。
さらには自分の決めつけを正当化するために他のものとも関連づけて壮大なひとつのフィクションにまでしてしまうなんて!
でもこれって、映画やドラマにも言えそうですね。
映画やドラマは、ある特定の人物(作家や監督など)の意味づけや価値観の反映です。
いくら登場人物がたくさん出てこようが、それら登場人物に自主性はありません。
ある特定人物の”決めつけ”通りに操作・演出されています。
ある意味登場人物すべてが、ある特定の人物それ自身です。
コメント