雲 黒斎さん著の『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』という本に
自我はあらゆる物事に意味や価値をつけるのが大好きなんだ。どんなものでも「そのまま」にはしておけない。何かと決めつけようとしてしまう。
「何か」を「何か」として把握したり、その定義を誰かと共有するためには、意味や価値が必要になるからね。
その「定義」が揺らがぬよう、その意味や価値を他のものと関連づけて一つの物語をつくるんだ。
とあります。
痛いほど確かにそうです。
先日もネット上にこんな記事を見つけました。
上村愛子のソチオリンピックモーグル4位はおかしいと世界中で話題になっている……
本当だったらメダルが獲れているというのです。
審判に文句をつけているわけです。
しかも、どういうわけか、世界中の人が日本人である上村愛子さんの方が、三位の人より良い成績だったと思っていたらしい……。
この場合の「そのまま」って何なんでしょうね?
上村愛子という人間が冬山でスキーをした。
それに対して、ある特定のみんなから認められている人間集団が点数をつけた。
そこに順位をつけるのは意味づけでしょうか?
そこで審判がおかしいというのは意味づけでしょうか?
何回もオリンピックに挑戦しているのにメダルが獲れなかったというのは意味づけでしょうか?
いずれにしても今回も、それを目にした数だけのストーリーが創造されたのは間違いないでしょう。
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