モニターの中で展開するゲームの世界を「これこそが現実だ」と思い込んでいたら……その状態で冷静にプレイできるかい? ちゃんと楽しむことができるかい? : 雲 黒斎著『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』kindle版をバシャール的に読む

雲 黒斎さん著の『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』という本によると、

モニターの中で展開するゲームの世界を「これこそが現実だ」と思い込んでいたら……その状態で冷静にプレイできるかい? ちゃんと楽しむことができるかい?

とあります。

さてバシャールは現実について何と言っているでしょうか。

「大いなるすべて」の持つ固有の波動――「無条件の愛」の波動だけが唯一リアルなもの。「現実」と呼んでいるものは、その唯一リアルなものを、パーソナリティの構造を通してフィルターにかけ、解釈した「現実の経験」にすぎない。 by バシャール

とは言っても、「無条件の愛」の波動という唯一リアルなものを、私はリアルにイメージはできませんが……。(^-^;

もしゲームのキャラクターが自分のプレイしている世界だけが唯一の現実だと思い込んでいたら、自分を操作しているプレイヤーが別に存在し、そのプレイヤーが存在している世界こそ本当の現実だと言われてもピンと来ないのかも知れません。

ゲームの中でそのキャラクターがさらにゲームをして、そのゲームのプレイヤーであるあなたが本当の自分なんだよとゲームの中で言われても、そんな馬鹿な!で終わってしまうのかも知れません。

ということで問題はやはり、ゲームをしているのにゲームだとか気づかずに、楽しむことを忘れて深刻になってしまうことだと言えそうです。

楽しむために始めたゲームは、楽しめるようにわざわざ自分の思いどおりにならないように出来ている。
だから、自分の思いどおりに出来ないからと言ってリセットしたり止めたり、あるいは楽しむこと自体を諦めてただ惰性で嫌々プレイするのは、本末転倒なのかも知れません。

楽しむために始めたゲームに苦しめられてやめようと思うんですから……。

じゃあ、この現実がみんなで始めたゲームに過ぎないと気づくにはどうしたらいいんでしょうね?
ゲームの世界に居ながら、ここがゲームの世界であると気づくにはどうしたらいいんでしょう?


もっと あの世に聞いた、この世の仕組み

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