雲 黒斎さん著の『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』という本に
「いま」を思考することができない。概念的に「いま」をつかもうとしても、それはすぐに過ぎ去ってしまうからね。
とあります。
「いま」と「過去・未来」は存在する次元が違う。
「いま」は体感できるが、「過去・未来」は体感できない。
「過去・未来」は思考できるが、「いま」は思考できない。
……ということで
かつて私が「いま」について考えたところ、「いま」とは「未来」といわゆる「いま」との間の「無」にあるのだろうという結論を得ました。
時間的には、私たちが普通に言うところの「いま」のちょっと後であり、かつ未来という範疇に入らない時間に、リアルな「いま」は存在するのだろうと思っていました。
つまり、見たり感じたりしているのは「いま」かもしれないが、見ていると考えたり、何かを感じていると考えた時点で、それは過去のものになってしまうのだろう。
だから、普通に言う「いま」は厳密に言えば「過去」であり、ゆえに普通に生きるということは「過去」に生きることになるのだろう。
真に「いま」に生きるというのは、思考の発生する前、体感若しくは意識のみの世界に生きることなのかも知れない。
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