「うつ」という症状は、負の無限ループに入り込んでしまった際に起こる思考の暴走、また、それを超えたオーバーヒート状態といえます。 : 雲 黒斎著『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』を読む

雲 黒斎さん著の『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』という本に

「うつ」という症状は、負の無限ループに入り込んでしまった際に起こる思考の暴走、また、それを超えたオーバーヒート状態といえます。

とあります。

以下書いてあることを簡単にまとめてみます。

「うつ」という症状は、「認められたい症候群」と「自己卑下による責任回避衝動」が同時に現れている中で、その葛藤に苦しんでいる状態。前にも後ろにも進むことができなくなり、停滞している。

そのどっちつかずの状態にさらに「結局何もできない自分」という罪悪感が上乗せされてしまう。

認められたい症候群の人には、「自分の存在価値=他者からの評価」というカルマ(思い込み)が根深く定着している。

そこには以下のような思考が流れているとのこと。

  1. 認められたい(他者からの評価が得られないことへの恐れが背後にある)
  2. 認められるだけのことができていない私(主観的価値観に基づく自己卑下)
  3. 認められるだけのことができていないから、認められない(主観的世界観の構築)
  4. 存在価値のない私でごめん(「本当に何もできないのだから……」という自覚)
  5. この苦しさから抜け出すには、自分を高めなければならない(自分でつくったハードル)
  6. でも、そのハードルが越えられない、どうしようもない私(自己憐憫)
  7. だけど(だから)、やっぱり認められたい(無限ループの完成)

この無限ループの中で、自分の存在価値を自分で貶めてしまう。
自分の存在価値を高めたい、でも、それができない。そのループを繰り返す中で、自己憐憫が上塗りされていく。

……とのことですが

これって一般的にそうですよね?

誰だって認められたい。
でも認められるのは一部の人だけです。
つまり世間に認められるというのは、他より抜きん出ているということだから。
自分が認められないのは認められるだけのことをしていないから、という思考も一般的です。
ただ、そこで、「だから自分にはまったく存在価値がない」と決めつけてしまう人はあまりいないかもしれない。
認められたいから、自分を高めようと思うのも、一般的思考だと思います。
しかし、高めようと思ってすぐに良い結果が出るとは限らないのが人生です。
だけど、認められたいから、努力して頑張る……

……一般的にはこうなると思います。

つまりポイントは、世間から自分が認められていないと感じたとき、自分への「罪悪感」に走るか、それとも、自分への「愛」に走るか、の違いなのかも知れません。

この文明では「憎しみ」が「愛」の反対語だと思われていますが、それは愛の反対側ではあっても、反対語ではありません。真の愛の反対語は「罪悪感」です。(中略)自分自身の存在そのものを否定するような罪悪感のことです。 : バシャールの学校

さらにこういうことも言えるでしょう。

否定的な感情をいだくことは、別に悪いことではありません。自分の人生の中に、困難をもたらすものではないのです。否定的なものを否定するとき、それが困難をつくりだします。 : バシャールの学校

いずれにしても、自我を消失させることができたなら、「うつ的症状」になることはできない、と言えそうです。自我が消失してしまえば、認められたいという欲求はなくなるからです。

「たった一つの命」を風船にたとえると、「さとり=自我の消失」がとても理解がしやすい。 : 雲 黒斎著『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』kindle版をバシャール的に読む


もっと あの世に聞いた、この世の仕組み

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