さとりを開いてすべてが同じ意識だと自覚したのなら
お金持ちになりたいとか、有名になりたいとか、モテたいというのはなくなることになる
なぜならこれらの思いは他と比べるから発生する思いだからだ
さとりを開いたなら他と比べるのは無意味だ
だってすべての人は自分だからだ
自分と自分を比べようがない
たった一つしか存在しないものを比べようがない
だとするならば
現世的な欲求を満たすためにさとりを開こうとするのは
自己矛盾を引き起こしてしまうはずだ
さとりを開いたからといって
金持ちになるわけでも、有名になるわけでも、モテるわけでもない
さとりを開いた人は、自分を金持ちと思うことは不可能だ
自分を有名だと思うことも不可能、自分がモテると思うことも不可能
自分以外に比べる対象が存在しないからだ
すべてがひとつであると自覚している意識に
比較という概念は存在しないはずだ
たとえば人間というひとつの肉体において
親指が人差し指に比べて短いと比較ができるのは
本来ひとつである人間の肉体を
親指と人差し指とに分離しているからだ
分離して初めて
比較というものが可能になる
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