この現実がゲームだと仮定すると結構納得が行くものがあります。
「生きるのに目的は必要ない」だとか、人生にもビジネスにも「答え」なんてない!
という考えを後押しします。
人間はただ生まれ、ただ生き、そしてただ死んでいく存在。
そこに特に確固とした目的があるわけでもない。
だから、衣食住が満たされてある程度生命の維持が保障されると、やることがなくなる。
暇はつまらないので、みんなでゲームをしようよ!ってことになる。
ゲームを楽しむにはルールが必要です。
それでみんなでルールを決めた。
それがこういうことなのではないだろうか。
時間と空間の中で、そして、しっかりとした固い状態の中でさまざまなことを体験していくというこの物理的な現実は、みなさんがつくりだしています。
みなさんのオーバーソウル、集合意識が、「物理的な現実の中でいろいろ体験していこう」と決めたときにさまざまな法則をつくりました。
その法則がこの現実という世界をつくっているのです。
以上、バシャール(チャネル:ダリル・アンカ) (著), 関野直行 (翻訳)『BASHAR GOLD(バシャール ゴールド)』P.19-20より引用
ただ、法則やルールが現実のどの部分をどれだけ創っているのか、想像もつきませんが。
ゲームなんだから、やるやらないはその人の勝手です。
そしてゲームなんだから、うまくいかないからと言って、自ら消えてしまおうとしてはダメです。
甲子園の高校野球にしてもオリンピックにしてもワールドカップサッカーにしても、私たちがそのように意味づけしたから、そうなっているだけで、中立の目で見れば、ただの野球とスポーツとサッカーです(あるいはただ多くの人が動いているだけです)。
ウサイン・ボルトもキム・ヨナも、彼らを知らない人には、大勢の人間の中のひとりに過ぎません。
競技のルールを決めたのも、一番が偉いと意味づけるのも、勝つためには物凄い努力がいるんだ!とか、優勝するための何々メソッドにしても、すべてが人間の意味づけです。
早い話が、それらのものが一切この世に存在しなくても人間はちゃんと生きていけます。
ゲームはなんのためにするのか?
楽しむためです。
面白いからゲームをする。
好きだからゲームをする。
楽しいからゲームをする。
でもゲームは勝つために始めたんじゃない。
勝つのが面白いからゲームなんだ。
勝つのが楽しいからゲームなんだ。
ゲームを始めたのは暇つぶしのため。
他人を蹴落として勝つためじゃない。
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