今日はバシャールのこの言葉が私を強く引きつけました。
怖れをポジティブな方向に使う必要があります。
ポジティブな方向に使うためには、まず「怖れを直視する」ことです。
怖れを見ることで、自分がどんなネガティブな観念や定義づけにしがみついているのかを理解できます。その観念や定義づけが、あなたの夢をはばんでいるのです。
以上、本田 健 (著), ダリル・アンカ (著), 江藤ちふみ (編集), 島田真喜子 (翻訳) 『未来は、えらべる! バシャール 本田健』P.13-14より
夢を実現しようとした時、怖れが障害になると言うのは大いにありそうですね。
「怖れ」があるのはどうしようもない。
ではだったらどうするか?
まず「怖れを直視する」。
怖れを見ないことには、自分がどんなネガティブな観念や定義を持っているのか分からないから。
観念や定義は、それに気がついた時点で無力化され力を失う。
次に、観念や定義を新しく望ましいものと入れ替える。
そうすることによって夢実現を阻んでいた一つの障壁を取り除くことができる。
さて、これらのバシャールの言葉の本質はなんでしょう?
怖れや不安などのネガティブな感情をポジティブな方向に使うには観念を変えることですが、それは別の言葉で言えば、意味づけを変える解釈を変えるということになると思います。
怖れや不安を抱く対象そのものに変化はないが、意味づけや解釈を変えることによって見方が変わってくる。
見方が変われば当然それに対する感情も変わってくる。
バシャール的には、すべては中立である。
ゆえに自由に意味づけすることができる。
だったらポジティブな意味づけをしてポジティブな結果を得ようよとなる。
しかしバシャールは一方で、ポジティブやネガティブに良い悪いはないとも言っている。
ここが分岐点ですね。
真のスピリチュアルと現実寄りのスピリチュアルとの。
真のスピリチュアルからするとすべては中立なんだからあるがままで充分です。
特にポジティブを目指す必要もない。
だけど現実寄りのスピリチュアルは、ポジティブとネガティブがちゃんと色分けされた世界で使うことを想定されている。
みんなが良いことを目指すと同意をしたゲームをプレイしている。
ゲームをする以上誰だって高得点を目指したい。
とすると、この場合の夢とは、ゲームで高得点を取りたい!という夢なんでしょうね。
でも現実でよく聞く夢に、南の島でのんびり暮らしたい!というのもありますね。
この場合はみんなで同意したゲームなんだけど、少しドロップアウトして自分の楽しみたいようにアレンジして、自分の楽しみたいように楽しむって感じでしょうか。
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