ワクワクの波動は非常に高い。ワクワクは似たような波動のものをひきつける。自分の波動以外の現実は体験できない。現実は波動の反映。波動は一番強く信じている観念によって決まる。 by バシャール

みなさんがワクワクするとき、波動が非常に高くなるからです。
みなさんがワクワクすることを、統一性をもって行うとき、似たような波動のものをひきつけることができます。

自分の波動以外の現実を体験することはできません。
みなさんが体験している現実は、みなさん自身の波動の反映にすぎません。
そしてその波動は潜在意識、もしくは表層意識で「一番、強く信じている観念」によって決まります。

以上を、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック5 望む現実を創る最良の方法はワクワク行動をすること 』31ページより引用させていただきました。

自分の波動以外の現実は体験できないし、体験している現実が自分自身の波動の反映にすぎないのであれば、波動を決める「観念」というものがとても大事に思えてきます。

では観念とは何か?

最初に観念がなければ、感情は生まれません。観念とは、「感情をつくるもの」と定義できます。 by バシャール

すべての感情というのは、もうすでにこれが真実であるとあなたが信じている先入観念、固定観念に対する反応なのです。
感情が出てきたら、それは、あなたが何を信じているか、どんな先入観念を持っているかを教えてくれています。 by バシャール

感情をつくるものはなんなのか?
その前に感情とは何か?

ネットには感情の意味として「1.気持。心持。2.快・不快を主とする意識のもっとも主観的な側面。」とある。
感情とそうでないものの違いは何か?
世には無感情という言葉もある。

生物学的には人は感情がなくても生きていけるだろう。
感情は意識の一側面?

快・不快を生み出すものが観念?
何かを信じているから感情が出てくる?

感情を生み出すものが観念なので、生まれた感情からその元となった観念を探ることができる。
観念とはどうやら、それが真実であると信じていること。
信じている定理が観念?

それが正しいと信じていることが観念であり、何かを信じれば感情が出てくる?

雷の音に対して感情は出て来ないが、盆踊りの音に対しては感情が出てくる。
雷をうるさいとは思わないが盆踊りはうるさいと思うことはあり得る。
赤ちゃんの泣き声をうるさいと思う人もいるし雷の音のように赤ちゃんの泣き声をうるさいとは思わない人もいる。
そこに信じる何かの違いはあるのだろうか。

赤ちゃんの泣き声に対して、どういう観念を持っているから、うるさいという感情が生まれる?
赤ちゃんの泣き声が雷の音のように自然現象の一つであるという観念ならうるさいという感情は生まれないはず。
しかし赤ちゃんの泣き声が赤ちゃんの育て方次第で泣かないようにもできるという観念を持っているから出来るのにそれが出来ていないから、うるさいという感情が生まれる?
いやそもそも雷の音はうるさい黙れ!と言っても言うことを聞いてくれないのは分かっているが、一方で赤ちゃんの声にうるさい黙れ!と言えば、赤ちゃんは何もできないがその親は何か対策をするだろうと思っているから、赤ちゃんの泣き声がうるさいという感情に結びつく?

ただ雷の音にだって感情は生まれる。
たとえば恐怖という感情。

除夜の鐘がうるさい、盆踊りの音がうるさい、公園の子供が遊ぶ声がうるさい、赤ちゃんの泣き声がうるさい、そういう人は雷の音にも同じ反応を示すのだろうか?

除夜の鐘は年に一度だし、生まれた時からそう言うものだし、歴史も由緒もある行為である。
盆踊りも文化であるし、生まれた時からそうだったから気にならない。
公園の子供が遊ぶ声もそうだ。第一自分が子供だった頃同じように公園で騒いでいた。
赤ちゃんは泣くのが仕事だと知っている。
しかしバイクの爆音はうるさいと思う。
あんな爆音を上げて走る必然性がどこにも存在しないではないか!

、、、と以上のように、感情というのはそれをどのように意味づけるかによって生まれるように思う。

であるなら、波動はそれをどのように意味づけるかによって決まるのではないかと思う。
考え方が波動を決めるのだろう。その人の考え方=その人の人格=その人の波動、ではないだろうか。

その人の意味づけや考え方がその人の感情を生み出すように思える。
そして感情を生み出すものが観念であり、波動は観念によって決まるのであれば、波動は感情を生み出すものによって決まるとも言えるので、その人の波動はその人の意味づけや考え方によって決まると考えても間違いではないように思う。

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