このままスリルのあるゲームを続けたいなら外側へ問い続ける、本当の自分を生き始めたいなら自分自身の内側へ問いかける – やん神を読書

このままスリルのあるゲームを続けたいなら外側へ問い続ける、本当の自分を生き始めたいなら自分自身の内側へ問いかける、なんです。

以上を、金城幸政さん著 『あなたのなかのやんちゃな神さまとつきあう法』の226ページから引用させていただきました。

自分自身に問いかけると人間は悟ってしまうそうです。

というのは、そもそもこの地球はなんでも思い通りになってしまう神さまが、退屈しのぎでつくった遊び場だから。

怒りも、悲しみも、寂しさも、ネガティブな感情は全部遊びなのに、悟ってしまうと、ゲームオーバーになってしまう。

それを人類全員が魂では知っているので、なかなか自分に向き合おうとしない、外に求めてしまう。

そう著者は言います。

バシャールもそうですが、私のお気に入りのスピリチャアル本の結論はみな同じで、この世はゲーム、この世は遊園地、この世は遊び場だそうです。

だとすればある意味、人は不幸になるために生まれて来るとも言えますね。
だって不幸という状態を知らない限り、幸せと言う状態を知ることもありません。

不幸を経験するから幸せを実感できる。
幸せになるためには、まず不幸で在られねばならない。

人は一時的に不幸になるために生まれて来たんだとすれば、これだけ世の中に、怒りや悲しみや寂しさが溢れているのに納得が行きます。

自分はもともとは神さまであり、神さまはなんでも出来てしまい、つまらないので地球で生きるというゲームを始めた。
ゲームなんだから、なんでも自分の思い通りになってしまってはつまらない。
ゲームは自分の思い通りにならないからプレイしていて面白い。

自分の内側へと向かい物事の本質を追及してしまうとゲームは白けてしまう。
だから皆あえて物事の本質は求めない。

物事の本質をあえて求めないことで、誰でもがゲームで勝者となることが出来た。
物事の本質のみが唯一真実であれば、勝者は決まってしまう。(法律や弁護士は不要になる)

この世のなかで物事の本質を一番価値あるものにしてしまうと、勝者は決まってしまうので、ゲームとしては白けてしまうのだ。だからこの世は物事の本質は求めていない。物事の本質をあえて求めないことで、誰でもがその人なりのテクニックや努力によって、勝者となる道が拓け、ゲームとして面白くなるのだ。

MIL15061

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