雲 黒斎さん著の『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』という本に
『自分』という、万物からかけ離れて存在すると錯覚された感覚があるからこそ、ありのままの世界ではなく、「自分から見て」という制限された世界を見てしまうんだよ。『何か』を『何か』として認識することや、部分を切り取って限定的に理解するということを通じて、僕たちは己が存在のすべてであることを忘れてしまったんだ。
とあります。
さてと……
どうしましょう?って感じです。
このことを一番ネガティブにとらえると、すべてはどうでもいいことになります。
すべては馬鹿らしいとなります。何をやっても無駄となります。
自分が存在のすべてであるのなら、特に何かを「する」必要はない。
何も「する」必要はない、ただ「在れ」ばいい。
しかし一方でこの本には、『空』という存在は「止まる」ということができないともあります。
バシャールも変化こそ安定であると言っています。
思考が停止します。(^-^;
バシャールはこの現実は映画の一コマ一コマのようなものであり、静止していると言っています。
フィルムの一コマの中の人は動いてはいません。みなさんは、「このコマを順番に見て、映画の中ではみんな動いているかのように見よう、そういう幻想をつくろう」と同意をしているのです。 : バシャール ゴールド
動きはないけど変化はある?
マクロ的には動きはないがミクロ的には常に変化している?
「今」には「変化」はないが、「今」をつなげていくと「変化」が生まれるということでしょうか。
そして「意識」というものは常に「今」を別の「今」とつなげようとする?
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