今までは、”シーン”と”感じる”は一体だったけど、シーンはただの映像で、感じているのはこの中だけ : 『なつかしいハーモニーの惑星へ』をバシャール的に読む

今までは、”シーン”と”感じる”は一体だったけど、
シーンはただの映像で、感じているのはこの中だったんだって、そういうふうに意識を使い出して、
これを形にしよう、使うのではなく、手放していこうっていうことをやっていけば、
あなたの中は変化を始めます。

以上、関野 あやこ (著), 笠井 裕子 (編集), 佐藤 カスミ (編集), 大湯 由里子 (編集) 『なつかしいハーモニーの惑星へ』P.104より引用させていただきました。

シーンと感じるの一体って、シーンと感じるがリンクしていた?
それとも文字通り一体化していた?

単なるリンクなのか、それとも完全に一体化していたのか……。

でも、それを手放すことが可能なんだから、それをつかむことで一体化していたということでしょうね。 だからどちらかと言えば、リンクに近い気がします。

使うというのは、シーンと感情を結びつけてしまうということでしょうね。
でも、これからはそうではなくて、手放すためにシーンを形にしていく、感情と結びつけないために。

シーンを形にして手放すことで、シーンと感情が結びつくのを防ぐというのが、あやこさんの考え出した高い意識へと戻っていくメソッドということなのでしょうね。

これが、「空」のManaさんでは、自覚した観察者になることであり、バシャールにおいては中立に見るということなのでしょう。

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