現実を中立と見た時、感情をただのバイブレーションとして扱うことができる : 『なつかしいハーモニーの惑星へ』をバシャール的に読む

現実にフォーカスすれば、出てきたもの(感情)に、すごいリアリティがあります。
でも、現実がただの中立な映像と見た時に、意識はこっち(自分)に戻ってきて、
出てきたその感情を、ただのバイブレーションだとして、扱うことができます。

以上、関野 あやこ (著), 笠井 裕子 (編集), 佐藤 カスミ (編集), 大湯 由里子 (編集) 『なつかしいハーモニーの惑星へ』P.40より引用させていただきました。

量子論で学んだところによるとミクロの世界では、観察されるまでは粒子の位置が決まらず曖昧な状態にあるが、観察をした瞬間位置が決定し確固とした状態となるらしい。

この現実はそのミクロの集まりなのですから、現実というものは観察されるまでは曖昧な世界である、とそう言えなくもありません。

そして位置の決まらず曖昧な状態より、位置が決まった確固とした状態の方が、リアルに感じるというのは納得がいきます。よって量子論からも、観察されているものは、観察されていないものより、リアルであると言えるのではないでしょうか。

そしてリアルなものを見れば、そこから出てきた感情も当然リアルなものとなります。
しかし、現実を観察することをやめ、現実を曖昧なものとすれば、当然そこから出てくる感情も曖昧なものとなるでしょう。

このことに関して、あやこさんは、外に使っていた意識を自分に向けると、外がやわらかくなり、宇宙意識のほうがリアルになると言っています。

さらに感情をただのバイブレーションと見ることによって、それをただの形にすることができる。
そして”その形”を手放すことで、現実も変えることができるそうです。

……ということで、自分の方に意識を向けることによって、外から意識を外し、そして、現実を曖昧でやわらかな状態にもどし宇宙意識のほうをリアルにするというのは、私の中で大いに納得できるようになりました。

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