なぜならすべての痛みは、自然な自分に抵抗しながら進んでいるときに出てくるからです。
自分の自然な部分に沿ってやっているときは、すべてにワクワクします。怖いものは出てきません。
表面では違うように見えていたものがひとつにつながってきます。
以上を、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック3―ワクワクするとき、ひとはもっとも多く学ぶ (VOICE新書)』22ページより引用させていただきました。
自然な自分
ナチュラルな自分
ノーマルな自分ではなく
普通の自分でもなく
人工的な自分でもなく
自然界っておそらく人間から見たら不公平だし残酷なんでしょうね。
初めから他の動物に食べられることを想定してより多くの卵を生んだりとか
植物を見てもいろんな境遇が植物を襲います。
陽が満足に当たらない場所に咲いてしまった植物とか、大きな動物の通り道に咲いてしまった植物とか、自然界に人間の言う公平は存在しなくて、でもそれが自然が自然である証。
子孫を残すのだって、自然界には結婚制度があるわけでも、一夫一妻制があるわけでもない。
みんなに公平にチャンスがあるわけでもない。
人間は比べたがる動物だから、人間は競いたがる動物だから、自然界が不公平に見えたり残酷に見えたりするけど、自然界から自然を見れば「ただそうであるだけ」
そこに特に意味はない。
中立、ニュートラルがあるだけ。
人間界は、比べたり競うのが好きだから、思想や法律などを作って人為的に不公平や残酷なことを減らそうと努力する。みんなから不公平だと文句が出ないように。
そして比べたり競うのが好きだからこそ、他人に負けたり自分が他人より劣っていると意味付けると、それがたちまち自分のとてつもない苦悩になってしまう。
人間界では他人より多くを所有すること他人に勝利することが素晴らしいことだと意味付けされている。
比べるワクワク、勝利するワクワクでは、自分が他人より劣っている時や敗北した時にはワクワクしない。
しかし、比べないワクワク、競わないワクワク、中立のワクワクでは常にワクワクした気持ちでいることができる。
そしてそれが自然な自分ともいえる。
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