雲 黒斎さん著の『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』という本に
目で見た映像も、耳で聞いた音も、鼻で嗅いだ匂いも、舌で感じた味も、身体にふれた感覚も、それらをもとにまとめあげられた印象やストレスの対象も、本当は何一つ存在していない。目に見える物質的な世界から、頭の中でアレコレと思い煩う思考の世界に至るまで、僕たちが見ていた世界はすべてバーチャル・リアリティなんだ。
とあります。
『空』という全体性(分離のない次元)から見ると、死ぬということも、何かを失うということもないそうです。
確かに「ひとつ」がすべてであるのなら、それが存在する状態と存在しない状態の”ふたつ”はあり得ない事になります。
存在はただ存在するのみ、決して無になることはない……となると思います。
本当は何一つ存在しない世界をイメージするには、夜見る夢をイメージすればわかりやすいと思います。
夢の中でも五感は働きますが、目が覚めると夢の世界は消滅します。
夢の世界にあったものは何一つ残っていません。
残っているのは記憶だけです。
さらにはこの記憶でさえ、本当は存在しないのでしょう。
私は先日過去を記憶している夢を見ました。
その過去の記憶は明らかに本当の記憶とは違っていました。
あくまでも夢の中の世界でだけ成り立つ記憶だったのです。
それを「記憶しているという夢」だったのです。
実際にはそういう事実は現実においても夢の中においても存在しませんでした。
記憶自体が夢だった夢を見たのです。
夢の中で「そういえばAということをしたよなあ」と記憶を蘇らせているのですが、夢から覚めた記憶では、夢の中でAということをしていないのです。もちろん実生活においてもAということをしていないのです。
ただ夢の中でAということをしていたのだが、目が覚めて、その部分だけを忘れてしまった可能性はあります。
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