雲 黒斎さん著の『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』という本に
あらゆる意味や価値は、対象にではなく、僕たちのとらえ方にあった
とあります。
このことを現在放送中のドラマ「僕のいた時間」を参考にして考えてみたいと思います。
ストーリーに関してはドラマの公式ホームページをご覧ください。
このドラマの主人公は徐々に体の機能が衰えていくわけですが、その衰えていく現実は変えることはできません。であるのにも関わらず、本来そこには意味はないという。
彼はまず左手の自由が利かなくなり、次に足も不自由になり、現在は車椅子を利用している状態です。
しかし、ドラマの中の彼は、生き生きとしている。
一方、優秀であった彼の弟は、闇の中にいる。
普通の意味づけで言えば、難病にかかり徐々に体の機能が奪われていく兄は不幸せで、頭がよく明るい将来が約束されている弟は、幸せなはずです。
しかし、ドラマでの現実では、主人公である兄は車椅子状態になりながらも今を生き生きと楽しんで生きている。
一方弟は、環境的には何不自由はないはずなのに、過去に囚われ、そして誰かの被害者として自分の人生を生きている。
いまという瞬間の中では、兄の方が幸せで、弟の方が不幸せだった。
つまり、価値は絶対的ではなかった。
絶対的ではないということは、自由に意味づけをすることができる、ということですね。
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