僕たちが何かについて把握するときは、実はその対象のありのままを見ているんじゃない。『頭の中にあるデータベース』を参照しているんだ。 : 雲 黒斎著『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』kindle版をバシャール的に読む

雲 黒斎さん著の『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』という本に

僕たちが何かについて把握するときは、実はその対象のありのままを見ているんじゃない。『頭の中にあるデータベース』を参照しているんだ。

とあります。

私たちが何かについて把握するとき、たとえば山道をクルマで走っている時に、道路の上にひも状のものがあれば、私なら、頭の中のデータベースから「ヘビ?」という名称を呼び出します。

そして「ヘビ」という名称を呼び出したが故に、単なる枯れ枝が、実際にヘビに見えます。
枯れ枝に「ヘビ」という名前を付けて、ヘビだと信じると、実際にヘビに見えます。

しかし次の瞬間、まったく動かないそれを「枯れ枝」と名付けると、ちゃんと枯れ枝に見えます。

頭の中のデータベースに、道路に落ちているひも状のものが近づいてみるとヘビだったという経験があったり、逆にデータベースの中に枯れるという言葉や枝という言葉が存在しないなら、それは未知の物体ということになったり、参照するデータベースによってそれは、ありのままのそれとは違って見えるのでしょう。

枝がもし未知の物体であったとしても、頭の中では、データベースを激しく検索するんでしょうね。
路上に落ちていたそれになんらかの名前がつくまで……。

たとえば路上に落ちている枯れ枝の「ありのまま」って頭の中のデータベースをまったく参照しないでそれを見るってことでしょうか。


もっと あの世に聞いた、この世の仕組み

MIL13047

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