雲 黒斎さん著の『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』という本に
あらゆるものを分離してとらえてしまう根本要因があるかぎり、決してありのまま(真理)をとらえることはできないよ。
とあります。
以下書いてあることをまとめてみます。
分離を生む根本要因とは、まず第一に「自分と自分以外が存在する」という自我意識の存在。
自分と切り離されて存在する何かがないと自我は存在できない。
自我は最初に『空(存在のすべて)』を、『私』と『外界(世界・自然・宇宙)』に分ける。
その分離感覚をつくりだすのが肉体。
五感と心の存在によって私たちは外界を知覚するが、それが分離という錯覚を生む土台になっている。
感覚における仕分け作業 → 心における仕分け作業 → 行動面の仕分け作業
これらの仕分け作業を経て経験された記憶は、自分と自分以外を分離させる知識=データベースとして蓄積されていく。
これらの仕分け作業により人間は「ありのまま」の世界を見失い、さらにはこの仕分け作業が苦悩の原因にもなっている。
……ということで、ここで本音でこのことを考えてみると
いつもの矛盾に突き当たる。
物質的な欲望を満たす喜びを味わいたいから自分を分離したのに
欲望を満たすことのできない苦しみから逃れるために元のワンネスに回帰するのなら
この世が自分の思いどおりにならないから、思いどおりにしたくて、元のワンネスに戻ろうとするのなら
あらゆる欲望は捨てなければならない
しかし、欲望を捨てるのならそもそもワンネスに回帰する理由も同時になくなってしまう
なぜこの世は自分の思いどおりにならないのだ!という苦しみから逃れるために
「真理=ありのままの世界」を求めた場合
なぜ思いどおりにならないのだ!という思い自体を捨てないかぎり「真理」にはたどり着けない
しかし本音ではこの世を思いどおりにしたいからその手段として「真理」に辿り着きたい……
……ここで矛盾を起こしてしまう
「真理」を得たいというエゴ=自我はあり得ない
得たいと思った時点でそれはエゴである
エゴを保ったままでは真理に辿り着けない
エゴを捨ててこそ真理に辿り着けるが
エゴのない状態では真理を得たいとも思わない
真理を求める時点でエゴである
求めた時点で真理は得られなくなってしまう
求めるのはエゴの仕業である
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