『自分』という、万物からかけ離れて存在すると錯覚された感覚があるからこそ、ありのままの世界ではなく、「自分から見て」という制限された世界を見てしまうんだよ。 : 雲 黒斎著『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』

雲 黒斎さん著の『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』という本に

『自分』という、万物からかけ離れて存在すると錯覚された感覚があるからこそ、ありのままの世界ではなく、「自分から見て」という制限された世界を見てしまうんだよ。『何か』を『何か』として認識することや、部分を切り取って限定的に理解するということを通じて、僕たちは己が存在のすべてであることを忘れてしまったんだ。

とあります。

このことについてバシャールは、夜見る夢の方が現実に近いと言っています。
確かに夢の世界は夢の世界が己が存在のすべてです。他人が自分の夢を創ることはできません。
夢の世界のすべては確かに自分が創造したものです。

この著者の本には、この現実はテレビゲームのようなものというのがありました。
だとすると、たった一人だが無数の腕と手を持ち、さらに無数のパソコンを目の前にして、すべてのキャラクター(プレイヤー)を同時に操作している、そんなオンラインゲームの世界がこの現実ということなのでしょう。

さて

『自分』という、万物からかけ離れて存在すると錯覚された感覚……

ありますね。それが錯覚かどうかは別にして、ですが。

自分の肉体がその境界ですよね。
普通は自分の肉体の肌と肌の内側が『自分』であるという感覚を感じる部分で、肌を含まないその外側を自分以外と感じている。

逆に自分が自分の存在のすべてであるという感覚はどうやって感じたらいいのだろう?
植物や動物、山や海、それらを自分の手足のように感じる?
宇宙のすべてを自分の肌の内側に感じる?

いや、夜見る夢の中でも、自分は自分として分離しているではないか。
夢の中で自分は自分として分離はしているが、夢から覚めた時、夢の世界が自分の存在のすべてであったと理解はできる。

ということは、一度死んでみれば(目が覚めれば)、自分が万物と一体であったと分かるのだろう。
でも、死んでから分かっても困るかもしれない。(^-^;


もっと あの世に聞いた、この世の仕組み

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