神が神である自覚を失うからこそ広がる、神としての自覚。それが「リーラ(神の遊戯)」だ。自我はそのためにつくられた。 : 雲 黒斎著『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』kindle版をバシャール的に読む

雲 黒斎さん著の『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』という本によると、

全体意識を閉ざし、分離を経験することで可能になる自己認識。
自由と選択を経験するため、あえてつくられた「苦悩(不完全)の道」。
神が神である自覚を失うからこそ広がる、神としての自覚。
それが「リーラ(神の遊戯)」だ。
自我はそのためにつくられた。

とあります。

バシャールからの情報だけでも頭のキャパ一杯だというのに、この現実は神である自分が創ったゲームであるという考え方は、さらにキャパを圧迫します。(^-^;

自分は全知全能で唯一の神であり、その神である自分はゲームを創ることにした。
神である自分はゲームの中のキャラクターになるのだが、すべて自分で創ったゲームなのでネタバレして楽しむことができない。
だから自分が神であることを忘れる仕組みを自分に対して創った。

そうやって神である自分はゲームにおいて目出度く本来の自分を忘れることができ、ゲームに没頭することができた。

……みたいな感じになるのでしょうか?

以下この本に書いてあることをまとめてみます。

存在のすべては分け隔てのない同じ意識で、その意識以外に存在するものは何一つない。

存在の根源である全体意識が、なぜさまざまな存在次元や自我を作り出す必要があったのか?
実際には「目的」というものは存在しないが、あえて言うなら、「意識が意識であることを、より深く意識することを望んだ」。

言葉を換えれば、神が神であることを深く自覚するために、あるいは、愛が愛であることをより深く理解するために。
病気という状態があるから健康という状態を実感できる。幸せでない状態があるから幸せを深く自覚できる。
愛ではないものがあるから愛を深く知ることができる……というように。

神が神であると実感するためには「神ではない何か」が必要だった。
しかし神は存在のすべてである故に、「それ以外」という比較対象の存在はあり得なかった。

そこで神は、「本当は神なんだけど、神ではないものということにしておこう」というイメージを形成することにした。
このバーチャルリアリティの成立により神は自己認識を可能にした。

さらにこのバーチャルリアリティの成立によって、それまで神が「やりたくてもやれなかったこと」が実現可能となる。
それは「自由」や「選択」といったもの。

なぜなら神の次元には、完璧、完全、最善、最良、それしかないからだ。
そこには選択の余地はなかった。

神は無限の創造性を駆使して有限の世界をつくり上げた。
選択を可能にする無数の「選択肢」を生んだ。
無限の選択肢を効率的に経験し尽すため森羅万象をつくった。

このようにしてゲームの試作品ができ上がったが、そこにひとつの課題が浮き上がってきた。
”ネタバレ”があって、そのままではまったく楽しめないとわかった。

そこで神は、ゲームの第一面に「記憶喪失ステージ」を追加した。
「神らしからぬ自分像」という自己暗示を入念に繰り返していった。

その結果、ゲームの創造主であることを忘れ「キャラクター」としての自我を獲得する。

神本来の能力が封じられた状態で如何にして苦難を乗り越えていくか。
それが神が神であるゆえに経験できなかったワクワク感だった。


もっと あの世に聞いた、この世の仕組み

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