雲 黒斎さん著の『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』という本によると、
そんなこんなで、延々とコンティニュー(輪廻転生)が続いてしまう。このスパイラルから抜けて「ノー」を選択するためには、とことんゲームを満喫し尽して、「あー! 楽しかった!」と、未練なくゲームを終える必要があるわけだ。
とあります。
この本によると、「人生は苦である」ということを受け入れることで、人生の本質をちゃんと見極め、それを味わい尽すことができるようになるとのこと。
……じゃあゲームそのものに飽きてしまい興味がない場合はどうなんでしょう?
たとえばいまここで、現実というゲームに飽きてプツンとゲーム機の主電源をいきなり落としてしまう。
そうすればゲームのキャラクターから現実世界のプレイヤーへと瞬時に戻ることができます。
そしてもうゲームは金輪際やらなければ、どうなんでしょう?
つまりいまここで、人生に飽きたとして自らの命を絶ち、輪廻転生を止めてしまう。
それもある意味悟りなんでしょうか?
でもこのばあい、もしバシャールの言う事が正しいのなら、私たちは自分なりの目標を決めてこの現実に生まれてくるわけですから、飽きるのは論理的におかしいです。でも人生がうまく行かないので面白くなくなって飽きるというのはあり得ると思います。
つまり飽きると言っても、味わい尽して飽きる場合と、うまく行かないので面白くなくなって、その面白くない状態が続くことに飽きてしまうというのは、意味合いが違ってきます。
うまく行かないから面白くないというのは、現実が自分の思いどおりに行かないから面白くないというのと同じです。
でも、世の中は自分の思いどおりに行かないように出来ていて、しかもそういう世の中につくったのは自分であるとは、この本で学んだことです。
なので、世の中が自分の思い通りに行かないから自ら命を絶つというのは論理的におかしいです。
でも心情的には理解できます。
つまり自分の思いどおりに、この思いどおりに行かない現実をつくったからです。
自分で好きでそうやっているのに、自分ではない何者かにそれをやらされていると思っている。
何者かに自分の人生をコントロールされて自分の好きなように人生を歩むことができないと思うから人生が嫌になる。
自分にとって何かやりたいことがある時、そのやりたいことを何の障害もなくすんなりできるようには人生をつくらなかった。
というのはやりたいことを瞬時に出来てしまったらなんの面白みもないからだ。
事実、意識だけの世界では瞬時になんでも出来てしまう。
しかし、瞬時に出来てしまうと、体験というものが出来ない。
じっくりと味わうということが出来ない。
みなさんのイマジネーションは「現実」です。現実でないものを想像することはできません。 すべてのものは現実です。そして、みなさんが「存在」と想像できるものはすべて存在するのです。 by バシャール
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