ゲームをしていたという自覚を失っていたからこそ生じる後悔、未練。それが次なる人生(輪廻転生)の原動力となる。 : 雲 黒斎著『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』kindle版をバシャール的に読む

雲 黒斎さん著の『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』という本によると、

ゲームをしていたという自覚を失っていたからこそ生じる後悔、未練。それが次なる人生(輪廻転生)の原動力となる。

とあります。

この前後を以下にまとめてみます。

人間が死んで、ゲームの世界からキャラクターが消えて、我に返る。
「あれ?死んでないぞ?そうだった!僕はゲームをしていたんだ!」と。

そしてそれまでのプレイ内容を振り返り、激しい後悔に見舞われる。
「最初からゲームだと知っていたら、あのときはああしていたのに」と。

この未練が生まれ変わりの原動力になる。

このようにしてたいていの人間はゲームをコンティニュー(輪廻転生)することを選んでしまう。

しかし、ゲームなんだから次はうまくやろうとゲームを始めるのだが、いざゲームを始めると強烈なリアリティと面白さに飲み込まれて、プレイヤーとしての自覚を失ってしまう。

……ということですが……

でもこの現実がゲームであるという証拠のようなものが欲しいですよね。

バシャールはこの現実は夢若しくは幻想であると言っているし、他のスピリチュアル関連の本を読んでも、この現実は仮想現実であるというような記述も見受けられました。

それらから考えるに、この現実がこの本の言うようにゲームである可能性はあるような気はしますが、本にはそう書いてありますが、この現実がゲームであると証明されたことはありません。

またこの現実がゲームであったとしても、このゲーム内に存在する法律というものを破れば自由を失います。
この現実がゲームであったとしても、この世界が依然として「自分の思いどおりにならない」という事実に変わりはありません。

となるときっとこういうことなのでしょう。

ポジティブな観念は、「現実は幻想かもしれない。それなら、もしかしたら変えられるかもしれない」という可能性に気づかせてくれます。
一方、ネガティブな観念は、「私が体験していることは確固とした現実なので変えることはできない。もし変えるとしても、とても難しい」と信じ込ませます。

未来はえらべる! 16-17P

以上、ダリル・アンカ (著), 本田健(解説) (監修), 本田健 (翻訳) 『人生に奇跡を起こすバシャール名言集 (VOICE新書)』P.79より引用させていただきました。

この現実がゲームだとして、
その事実をどのようにこの現実にポジティブに活かしていくか
どのようにこれまでとは考え方(意味づけ)を変えていくか

……と、そういう内面的な問題なのでしょう。


もっと あの世に聞いた、この世の仕組み

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