雲 黒斎さん著の『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』という本によると、
神は、このとき「ゲーム」を開発したんだよ。
それを古代インドでは「マーヤー」と呼んだ。この世は神が創造した幻想、バーチャル・リアリティの世界であるという意味だ。そして神は、自らつくったその幻想世界へ降り、遊ぶ。それを「リーラ」と呼んだ。
とあります。
さてと……どうやらこの本では、この世はバーチャルゲームであると言いたいようです。
しかも、そのゲームを創っているのも自分です。
たった一人の神である自分は暇だった?
神である自分は死ぬことはない、何時如何なる時も不死身だ。
仕事をしなくても死ぬことはないし、病気で死ぬこともない。
永久に何もしないことも可能だ。
自分は神なので、全知全能、やりたいことは何でもできる。
完全な自由を持っている。(=無条件の愛?)
でも、それでは暇だった?
それで、ゲームを創ることにした。
ゲームには制限を設けた。不自由さを導入した。
ゲームは、自分の思いどおりにならないからこそ、面白かった。
成長する自分が嬉しかった。クリアしたときには飛び上がるほどの感動があった。
……だとしたら、どうなんでしょうね?
そんな感じが真実だとしたら……
とかいって最近の私はゲームをしません。
ゲームには飽きてしまいました。
人生がゲームであるなら、私は人生に飽きてしまった?
でも、考えようによっては、人生をゲームのように思っているから、いわゆるゲームには興味がないのかも知れません。
もうすでにゲームをしているので、わざわざゲーム機を使ってゲームをする気にならないのかも知れません。
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