雲 黒斎さん著の『あの世に聞いた、この世の仕組み』という本に、
「『本当は、状況と幸せには関連がない』
これに気づくことができたら、おまえの人生観は根底から覆る。
おまえは、ずっと、自分が幸せであることを、自分で認めてあげていなかったんだ。」
とある。
つまりこれは、バシャールの
すべてのもの、シンボルは基本的には中立です。いい方を変えれば中性です。あなた自身がそれに意味を与えたものが、あなたに対しての意味となります。 by バシャール
というのに、つながりますよね。
自分でそれが「幸せ」と意味づけすれば、それはほんとに「幸せ」なものになるということですね。
ただし、自分に対してのみ効果がありますが……。
となると疑問が湧いてきます。
人がそのままで幸せな存在であるのは、幸せだと意味づけるから幸せなのか
それとも何か客観的に見て、人はそのままで幸せだという証拠のようなものが存在するのか
しかし、幸せに対して客観的な尺度を持ち出すのは、エージェント・スミスに洗脳されているからではないのか?
幸せに何か絶対的で客観的な尺度が存在するなら、その瞬間、裏を返せば「何々がないから幸せにはなれない」というエージェント・スミスの洗脳が蘇って来ないか?
だとすると
『本当は、状況と幸せには関連がない』
と
「すべてのもの、シンボルは基本的には中立です。」
は、イコールになりはしないか?
となると
人はそのままで幸せな存在である、という一見すると事実に見える定義は
すべては本来中立だから、本当は自由に意味づけができる
であるなら当然、「人はそのままで幸福な存在」という意味づけをした方が
絶対的に”良いに決まっている”
じゃあ、「人はそのままで幸福な存在」という意味づけを採用しようではないか!
……ということなんだろうか?
バシャールの言う事を参考にしつつ論理的に考えると、私の場合は、そうなってしまった……。
でも、何かが足りないか、どこか間違っているかも知れない気もする。
この本には、私達が幸福な存在である理由、もしくは証拠のようなものは、記述されていない。
自分が幸せだと認めれば、自分が幸せだと気づく……と、そうとれる。
ということで、またこの本を最初から読んでみないと、はっきりしたことがわからないな……というのが、今の私の感想だったりします。
あるいは、今は思考を使っていたが、いつか「そうか!」と直感的に分かる日が来るのかもしれない。
さらに考えてみると
もし自分が幸せな存在だとして、その幸せの理由を求めてしまうと、同時に、それがないと幸せではない状況が生まれてしまう。
なんの理由もなしに幸せでないと、その理由が失われたときには、今度は、容易に不幸せになってしまう。
幸せになるのに「理由」は要らない。その結果だけを得ることができる。 : バシャール・スピリット
バシャールの名言:幸せに感じられることをしていて、自分の情熱をさらに拡大していけるような現実があれば、その人は成功しています。 by バシャール
豊かさとは「自分がやりたいときに、やりたいことをやれる能力がある」こと by バシャール
やはり「状況と幸せには関連がない」というのは……、
常に自分は幸せな存在であると認めること自体、
常に自分は幸せな存在であると意味づけること自体が、
自分が幸せな存在である根拠となっている気がする。
(当然、認めなければ、意味づけしなければ、不幸せになってしまう)
なぜなら……、
自分は創造主と共同で創造している、からでしょうね。
すべての創造物は中立なのです。もともとの意味などないのです。これに意味を与えるのはあなたのクリエーターとしての自由意志を使う練習でもあります。 by バシャール
じゃあ結論を言えば、自分がそれを幸せだと意味づけすれば、それはほんとうに幸せなものになる?
でも、この考えだと、自分が幸せではない瞬間が存在してしまいますね。
でも、自分は幸せではないという意味づけも、自分は幸せであるという意味づけも、どちらも同じ価値だとすれば、すべては中立で自由に意味づけが可能だとすれば、自分が幸せではない瞬間が存在しても、おかしくないのかも知れません。
この場合、人は生まれながらにそのままで幸せな存在である、という定義が成り立たなくなってしまいますが。
ん~
人は生まれながらにそのままありのままで幸せな存在
なのか
それとも
人は自分を幸せな存在であると認める、若しくは意味づけるから、幸せな存在なのか
このふたつは同じことを別の角度から見ているにすぎないのか
ちょっと、よくわかりません。
結局、そう意味づけるから幸せになる、という”理由”が、またしても生まれてしまった気もします。(^-^;
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