雲 黒斎さん著の『あの世に聞いた、この世の仕組み』という本に
何者かになろうとする努力をやめれば、自然と素の自分になる。
「自然になろう」とする努力は必要ない。自分が無理している「不自然」な部分を自覚し、それを続けなければいいだけなんだ。
とあります。
仕組みはわかった……でも、それで何かいいことあるの?
私の思考は何処かでそう囁かざるを得ない。
この本からすると
素の自分になれば、幸せになれるととれる。
というのは、素の自分はそれだけで幸せな自分のはずだからだ。
でも、ここでいう「幸せ」とは、状況とは無関係な幸せだ。
お金がなくても、ものが無くても、一般的に見て悲惨な状態にあったとしても、「幸せ」でいることができるそんな意味づけの「幸せ」のことだ。
だったら、そんな「幸せ」なんて要らない!
”私が”欲しいのは、やりたいことができる幸せ、お金がたくさんある幸せ、欲しいものを何でも手に出来る幸せなんだ!
……と、”私”である”エゴ(自我)”は”考える”。
でも
それこそが、何者かになろうとする努力なんだろう。
……ということで
ある意味自己否定だ
本当の自分であるためには、いまの自分をやめなければならない
というのがあるが、この「やめなければならない」という思考自体がいまの自分の思考であって
本当の自分の思考ではない(本当の自分に思考があるとしての話だが)
で
いつものパラドックスに陥ってしまう。
成功を求めて、あるいは夢をかなえることを求めて、この本を読んでいるのに
この本が言うことには
あなたはすでに幸せであるである
すでに幸せであるのなら、成功を求める必要性も、夢をかなえる必要性もなくなってしまう
というのは、幸せになるために、成功や夢の実現を求めているのだから……
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