雲 黒斎さん著の『あの世に聞いた、この世の仕組み』という本に
「何かを握りしめつづける(執着する)」ということは、努力が必要な「行為」だ。
だが、「手放す」というのは、その「握りしめることをやめる」ということだから「行為」ではない。「行為をやめること」が「手放す」なんだ。
とあります。
なるほどそうか!という気持ちと同時に、なんだか騙されているような気持ちもします。(^-^;
今現在やっている「行為をやめること」が「手放す」であれば、手放して手放して手放した先にあるのは、まったく何もしていない自分ですよね?
だとしたら、何もしない自分に価値はあるのか?
何もしなくて、生まれてきた意味があるのか?
です。
しかし一方で、バシャールも、存在はただ存在するだけ、そこに目的などないと言っています。
存在自体には始まりも終わりもありません。存在は常に存在していましたし、これからも存在し続けるのです。 : バシャールと宇宙連合
いわゆる「存在」には初めも終わりもありません。皆さんの概念における「初め」から「存在」はありました。「存在は存在する」というだけなのです。 : バシャールと宇宙連合
目的という概念は存在の中で創られたわけです。すなわち、目的という概念ができる以前からあったものは、別に目的がなくても存在し続けることができるというわけです。 by バシャールと宇宙連合
そうか!という部分は、握りしめている努力をするより、行為をやめて手放す方が楽だよねってことです。
そして、もうひとつは、「手放す」というのは「行為」ではないという気づきです。
「手放す」とはいまやっている「行為をやめること」というのは大きな気づきです。
さらに、騙されているのでは?と思う部分は、なぜみんな楽な「手放す」方を選ばないで、努力が必要な「握る」と言う行為の方を続けるのだろう?です。
ひょっとして逆なのでは?と思ってしまいます。
何もしないのは「苦」であり、何かをしている方が「楽」なのでは?
これからの一生、まったく何もしないでただ生きていくだけなら、ぞっとします。
とりあえず何かをするから喜びがある。
何もしなければ、何もない、当然喜びだってない……
……という考え方も可能ですが、どうなんでしょう?
ただ、出来る限り何もしないほうが人生は好転する気もします。
比べない、争わない、傷つけない、嫉妬しない、憎まない、いじけない、絶望しない、腐らない、貪らない、焦らない、諦めない……などなど
ポジティブな感情を抱くよりもネガティブな感情を抱く時間が多いのであれば、何もしないほうが、結果的に、トータルで観ると、人生が好転しそうな気がします。
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