雲 黒斎さん著の『あの世に聞いた、この世の仕組み』という本に
なのに、おまえは「いまのここ(現実)」にある音や薫り、空気感や肌に触れている服の感触などを忘れて、「思考がつくり出した世界(仮想現実)」にリアリティを感じ、その世界に生きていたんだよ。
とあります。
確かに、止めどない自らの呼吸、心臓の鼓動、血管を流れる熱い血液、肌に触れる衣類の感触、背中の椅子の圧迫感、臀部に感じる重力、眼球に感じる眩しい光、鼻を圧迫するメガネフレームの重量感、指に感じるキーボードの無機質、等々の方がリアルというのにふさわしいのかもしれない。
しかしそれらが、人生において何の役に立つ?
それらはお金になるか?
必要以上に食べ過ぎて体調を壊してしまうのは、思考がつくり出した世界に生きているからだろう。
もし「いまのここ」に生きているのなら、自らの肉体の声を聴くことができて、食べ過ぎるということはないだろう。
絶望や自殺の願望、憂鬱さ、等々のネガティブな感情も、思考がつくり出した世界に生きているからこそだろう。
「いまのここ」に完全に生きている野生動物は、絶望したり自殺願望を持ったり、憂鬱になったりはしないだろう。
思考がつくり出した世界は仮想現実であるからこそ、いくらでもネガティブになり得る。
いくらでも悪くなり得る。いくらでも闇になれる。そして、その真逆のものにもなり得る。
確かに、現実と仮想現実という両者はあると言える。
コメント