体はいつだって「いまのここ」にしか存在していないのに、気持ちはそこから離れて、「過去や未来」を見ているんだ。体と心がバラバラで一致していない(幽体)「離脱」状態なんだよ。 :『あの世に聞いた、この世の仕組み』

雲 黒斎さん著の『あの世に聞いた、この世の仕組み』という本に

体はいつだって「いまのここ」にしか存在していないのに、気持ちはそこから離れて、「過去や未来」を見ているんだ。体と心がバラバラで一致していない。まさに(幽体)「離脱」状態なんだよ。

とあります。

この言葉は著者が幽体離脱について守護霊に聞いた時の話です。

でもまあこれを逆に考えると、体は「いまここ」にしか存在できないけど、思考は「過去や未来」にも存在できる、とも言えます。

これをバシャール流に考えると、すべては中立なので、どちらが良いとか悪いとかの問題ではなく、ただそうであるだけの話なのかも知れません。

ただ、思考が「過去や未来」に行ってる間は、「いまここ」にいる体とはバラバラだとは言えますね。

そしてこの本は、過去も未来もない。あるのはいまだけと続きます。

この点はバシャールの言っていることと同じです。

実在するリアリティは、「いま」だけ。
そして、存在しているのも「いま」だけ。

とは言うものの、私が考えるに、過去が存在するという絶対的な証拠は存在しないが、状況証拠は存在しており、しかもそれは再現性が高いとも言えます。

でも考えてみるに、過去の存在は絶対証明できないですね。
存在するのなら、それは現在だからです。
存在しないものを過去や未来と言っているからです。

だから、過去が存在したという状況証拠だけが現在に存在するのみ、なのかもしれません。

とは言うものの、バシャールは過去も未来も同時に現在に存在するというようなことも言っています。

あの世に聞いた、この世の仕組み

MIL26014

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