雲 黒斎さん著の『あの世に聞いた、この世の仕組み』という本の二回目の読書を終え、以下にまとめを書いてみます。
この本の著者が守護霊とコンタクトできるようになったのは、脳というチューナーのチューニングが、現世から魂側へと移行したから。
宇宙は思考をそのまま反映した現実を創り出すので、「望めば望むほど夢は逃げて行く」
何々が欲しいという欲望は、何々が足りないという現実を創ってしまう。
何々に近づいているという自信や確信は何々が近づく現実を引き寄せる。
夢は追い求めないで、引き寄せる。
自分の思いそのものが、自分の現実を創る。
宇宙は考えをそのまま反映した現実を創り出す。
人は何度転生しても、瞳だけは変わらない。
瞳の輝きは人間の魂を映し出す。
本当はこの世にはあなたしか存在していない。
世界のすべてはあなたです。
たった一つの同じエネルギーが、たえず形・状態を変えて生きつづけているだけ。
自分が命を所有しているのではなく、命が自分。
幸運な状況になったから幸せになるのではなく、幸せでいるから幸運な状況になる。
大切なのは、「足りないモノ」を追い求めることより、「いらないモノ」を捨てること。
「満たされている状態」を望んでいるわけだから、「満たされていない」という思いは要らない。
思い癖がなくなると幸せに近づける。
魂がどんな「仮説」をもち、どのような方法で検証しているかが「個性」
いくら教科書・教材が増えようが、それを使って勉強しなければ、「学力」は向上しない。
「この世」での課題は「善(よい)とは何か?」
「この世」に生まれる前に「あの世」で行われた試験は「愛とは何か?」
人は誰でも「幸福とは何々だ」という仮説を立て、それを自分の人生で検証している。
その魂がどういう仮説を持ちどのような方法で検証しているかが「個性」となる。
大多数の幸福の定義は、「幸福は、境遇に比例する」
この本の著者の定義は、「幸福とは、その『才能』に比例する」
才能は磨こうとすると、その裏には才能が足りないという思いが存在してしまう。
キーワードの一つは「楽しむこと」しかし
楽しんでいるからスキルアップするのであって、スキルアップのために楽しもうとすると、罠にはまる。
「楽しむことに努力する」というおかしな構図になってしまう。
次のキーワードが「関心」
人は関心を寄せたものに対して、その関心の大きさに比例した能力を開花させていく。
ポジティブなものに関心を寄せればポジティブなものをとらえるスキルが上がっていく。
「幸せな人」は、「よいと思うこと」に関心を寄せている。
人は自分が関心をもったものを引き寄せる。
「人間という存在は、完璧だけど不完全」
存在の本質であるあなた(真我)は完璧だが、幻想の自分であるあなた(自我)は不完全
「自我」とは、「固定化された思考・思い癖」がつくり上げた偽りの個性。
思考は止めることはできない、思考を止めようとするのが思考だから。
存在の本質とは、何者でもない。特別さなど、どこにもない。それが真実。
元々が何者でもない存在なのだから、どうあがいても何者にもなれない。
自我が消失しても、そこに真我はない。
依然として「個」であれば、それは「真我」ではなく「真我のふりをした自我」でしかない。
真我が消失して、そこにあるのは「空」。
”自分”の意味が、自我(分離・思考)から真我(統合・宇宙)へ逆転する。
実在するリアリティは、「いま」だけ。
存在しているのも「いま」だけ。
存在しない過去や未来に生きるのは映画『マトリックス』に生きているようなもの。
幻想に生きている。
マトリックスからの逃れる方法とは何か?その答えは
何もするな。
「幸せになるためには、何かをなさなければならない」というのがそもそも罠だからだ。
状況と幸せは無関係だ。
幸せはすでに手にしているモノ、あなた自身なのです。
いますぐ幸せになってもいい!人生を楽しんでもいい!
「幸せになれない理由」なんてない、「幸せにならない理由」があっただけだ。
「何もしない」とは、自分が自分であることを徹底的に認めてあげられること。違う自分になろうとするなってこと、そのままの自分であれってこと。
本当は「そのままの自分」に「いい」も「悪い」もない。ただそういう人がいるだけ。
「不自然」でありつづけることには努力が必要だが、「自然」になるために努力は必要ない。
何もしなければ元から自然。
何者かになろうとする努力をやめれば自然と素の自分になる。
「手放す」というのは「行為」ではない。「行為をやめること」が「手放す」こと。
大事なのは、「幸せになること」じゃなく「幸せであること」。
本当の幸せは「いま」の中にしか存在しない。
幸せを見つけ出せるのは、いつだって「いま」だけ。
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