みなさんは、今見たくないものをしまっておくところとして、無意識を創り出しました。無意識レベルをもつことの長所は、物事をひとつずつ体験できるという便利さです。 by バシャール

みなさんは、今見たくないものをしまっておくところとして、無意識を創り出しました。(中略)
無意識レベルをもつことの長所は、物事をひとつずつ体験できるという便利さです。

以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳) 『バシャール・ペーパーバック5―望む現実を創る最良の方法はワクワク行動をすること (VOICE新書)』P.217より引用させていただきました。

はじめのうちはすべてをありのままに捉えていたのに、そのうちに見たくないものが出てきた。
これはつまり、すべてを中立であると見ることができなくなった、あるいはすべてを肯定的に見ることができなくなった、ということを意味するのでしょうか。

そうやって本来ひとつである意識を分離して無意識の領域を創り出した。
意識することが意識の本質であるのに、意識しない領域を自ら創り出した。

それによって、同時にではなく、ひとつずつ物事を体験できるようになった。
それは便利なことだった?

同時に体験することは不便?

同書p.218にはこうあります。「統合された意識は、すべての次元の現実で起きていることを、一度に見ることができます。」

すべての次元の現実を同時に見ることのほうが便利な気がしますが、そうではなかったようです。

見たくないものができたので、それをしまっておく無意識を創り出したところ、こっちの方が便利だと気がついたということでしょうか。

無意識領域を作り出したことによって副次的に、時間と空間が広がった。
その時空間の中で物事をひとつひとつ体験するのは、意識にとって心地よかったのでしょうか?

MIL13137

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