過去を現在において変えることができます。
なぜならば、未来に向かっても、過去に向かっても、無数の組み合わせの人生があるからです。
そのどれを選ぶこともできます。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳) 『バシャール・ペーパーバック5―望む現実を創る最良の方法はワクワク行動をすること (VOICE新書)』P.141より引用させていただきました。
オーバーソウルという、より高次な魂の観点から見れば、来世を先にその後で過去世を見ることもできる。
オーバーソウルの次元では、時間や空間の概念は存在しない。
なので、本当は未来も”過去”も確定していない。
「現在」は「過去」の直接的な産物ではない。
連続して続いていると思えるのは私達の幻想。
引用した部分までをまとめると以上のようになります。
私たちが映画を観ている観客だとすると、オーバーソウルは映写技師。
映写技師は、どの映画フィルムのどのひとコマでも自由に見ることができる。
映画フィルム上の過去から未来へと言う順番をどのようにでも無視して自由に見ることができるのがオーバーソウルである映写技師。しかもいろんな映画のフィルムのどのひとコマでも自由に見ることができる。映画フィルムは無数に存在する。
映画のフィルム上には時間の流れがあるが、映写技師に時間の流れは無縁だ。
でもこのたとえでいくと、映画の観客は、映写技師が途中でどんな映画フィルムにも交換が可能という意味で、未来は決まっていないが、過去は変えられない。もうすでに見てしまった映画のフィルム部分は変えることはできない。
しかし、映画のフィルムは一本丸ごと過去から未来に向かって観るだけでなく、映写技師に頼めば、本当はどんな順番でも観ることができるのだと知れば、それが真実であるのなら、実際に観た映画フィルムの時間的流れとは無関係に、過去にどのような映画フィルムを観たことにでもできる。
(観客が実は自分も映写技師であることを忘れているとしたら……)
オーバーソウルである映写技師はすべての映画フィルムのひとコマひとコマをもうすでに観ている。
その映写技師が観客席に座って映画を観ている状態が私達。
しかもその映写技師が、映画の途中から突然観客席に現れ、「いまここ」という観点”だけ”からその映画を観れば、過去に向かっても未来に向かっても無数のひとコマが広がっており、そのどのひとコマを選んでも、特に問題はないことになる。
だって、映写技師はすべての映画のすべてのひとコマをもうすでに全部観ているのだから……。
私達は実はすべての映画のひとコマひとコマをもうすでに観ている映写技師であり、そのことを忘れて映画館に座っている観客である。しかも、この世界(実はパラレルワールド)では、無数に存在する映画フィルムのたったひとコマしか観ることができない。なので私達は常にテレポテーションを繰り返していろんな映画館を訪れている。たったひとコマしか観ることのできない映画なんてつまらないから……。
まとめるとそうなるのかもしれません。
コメント
自分が必要なだけパワーを発揮することができるとのメッセージ、とてもよく理解できます。まさに昨日体験しました。