創造の真理からすると「すべての人生が今起きています」。
ただ、物理次元からみると、ある人生のあとにまた別の人生があるように見えます。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳) 『バシャール・ペーパーバック5―望む現実を創る最良の方法はワクワク行動をすること (VOICE新書)』P.138より引用させていただきました。
このことはちょうど映画のフィルムのようだとバシャールは言います。
映画のフィルムのひとコマひとコマが物理次元の意識で、その部分だけを、今起きているとしてスクリーンに投影している。
私達のより高い意識の部分は、映画の映写技師のように映画のフィルムのすべてのコマを同時に見ることができる。
映写技師から見ると、映画のフィルムのすべてのコマは、同時に存在している。
映画のフィルムがそこに引き伸ばされて全部のコマを同時に見ることができる状態にあったとしても、それは映画としてはまったく面白くはない。
ひとコマひとコマがストーリーどおり順番にスクリーンに投影されるからこそ、映画として感動できる。
創造の真理からすると映画のフィルムのひとコマひとコマはもうすでにすべて存在している。
しかし、物理次元と言うスクリーン上の意識から見ると、あるひとコマのあとに別のひとコマが存在している。
これをパラレルワールドに例えると、すべてのパラレルワールドは同時に存在しているが、この物理次元に現れている意識が認識できるのは一度に一つのパラレルワールドだけである。
すべてのパラレルワールドは同時に存在しているが、いまここで体験できるパラレルワールドは常にたったひとつである。
……とそうなるのでしょう。
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