「すべて離ればなれ」というアイデンティティの感覚は、敵をつくることによって強化することができるため、エゴはいつも争いに飢えています。それで、これは「わたし」であり、あれは「わたしではない」と証明しようとしているのです。
以上、エックハルト・トール (著), Eckhart Tolle (原著), あさり みちこ (翻訳)『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』P.66より引用させていただきました。
内部の結束を高めるために、あえて外部に敵を作るというのは、国家的戦略に利用されるほど、人間心理の応用として承知の事実ではあります。
すべては分離しているという真実に反した幻想を信じ続けるためには、敵を作って、あれは「わたしではない」とやるのが一番簡単な方法なのでしょう。
いずれにしても、何故私が敵を創りたがるのか、あるいは何故私は受容モードより戦闘モードを好むのか、この引用した文章のおかげですっきりと理解できました。
2013.5.29追記
エゴは離ればなれでいたいんですね。
そして、分離はネガティブの特徴なので、基本的には人間はネガティブなのでしょう。
そもそも人間の宿命として生まれた瞬間から死へと向かって行くわけですから、生まれるということは、行く行くは死と言う最終的な肉体の分離の始まりとも言えます。
そう考えると、生きるとは死への抵抗ですから、死に対する怒りが生であるとも言えます。
怒りが人間の本質であるとき、敵をつくって争うことが、人間の本質になってしまうのでしょう。
「わたし」と「わたしではない」ものを分けるのと、「わたし」が死へ向かいながら分離していくのは、何が違うのでしょう?
エゴは離ればなれでいたい。
だから争いを好む。
敵をつくれば離ればなれであるという実感が湧くから。
でも人間はいずれ黙っていても誰でも死と言う分離を迎える。
とは言っても、どうせ死んで分離してしまう人間だし、敵をつくって分離の感覚を強化しなくても、そもそも人間は普通に「わたし」と「わたしではない」を分離して生きていると思うんですが……。
みんながこれは「わたし」であり、あれは「わたしではない」と思っているのだから、わざわざ証明しなくても良い気がしますが……。
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