いつも、「いまここ」があるだけだ。
以上、阿部 敏郎 (著)『いまここ―すべてがうまく流れ出す宇宙の絶対ルール』P.49より引用させていただきました。
この章には「とてつもない男」とのタイトルでちょっとしたお話が載っています。
アレキサンダー大王が、アジア遠征のためにインドに差しかかったときの話だそうです。
大王はその地方にとてつもない男が住んでいると耳にすると、彼に会いたくなった。
そして、その男に会いに川のほとりに来た。
どこにもそれらしい屋敷はない。
村人が、あの男ですと指差す先には、木陰で裸になって横たわっている物乞いのような男がいる。
あの男のどこが宝なのだ!といぶかしがる大王に、村人は、あのお方の素晴らしさはその内なる宝にあると答える。
何をしている?大王がたずねる。
反対に男が、あなたは何をしておられます?と聞く。
私は東に遠征中だと答える大王。
遠征してどうなさいます?と男。
世界を征服するのだと大王。
征服してどうなさいます?と男。
おかしなことを聞くな!世界を征服したら、そのときは、ゆっくりと休むのだと大王。
すると裸の男はこう言う。
「私はいま、休んでおるのです」
……。
☆ ☆ ☆
……ということで
え?あれ?って感じですよね。
絶対的に大王のほうが正しいと思っていたのに、最後の最後に価値が逆転します。
確かに休むために世界を征服するなら、初めから「いまここ」で休めば、目的は達成されてしまう。
いずれにしても、このエピソードの最後で、読んでいる方は思考が停止してしまうのが、素晴らしいです。
なぜなら、思考の檻の外に一歩踏み出すことができるからです。
2013.4.20追記
この話は、いまでもそしてずっと、強烈に私の中に残っています。
人は何故お金が欲しいのか?
たとえばそれは、安心して生きるためです。
生きるためにお金が欲しい?
でもそう言っているあなたはもうすでに「生きている」。
安心して?
そう言っているあなたはおそらく平和な状況にいまも居るはずです。
そうでないと、この記事を読むことはできません。
瀕死と言うわけでもなく、空から爆撃機の爆弾が落ちてきているわけでも、ないはずです。
だからこそ、いまここで、この記事を読んでいるはずです。
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