「なぜ?」という質問への答えは、常に「定義」であり、「観念」です。 : バシャールの学校 – BASHAR2006(バシャール2006)より

「なぜ?」という質問への答えは、常に「定義」であり、「観念」です。 : バシャールの学校 – BASHAR2006(バシャール2006)より

「なぜ?」という質問への答えは、常に「定義」であり、「観念」です。

そして、もしあなたが「したくもないことを選択しつづけてしまうのは、自分の持っている観念や定義によるのだ」と気づいたとしたら、それはひとつのチャンスです。
どんな観念や定義を持っているから、それを選択しつづけているのか、発見するチャンスなのです。

以上、ダリル・アンカ (著), 大空 夢湧子 (翻訳) 『BASHAR2006(バシャール2006)―バシャールが語る魂のブループリント』P.179より引用させていただきました。

「なぜ?」という質問への答えは、常に「定義」であり、「観念」であるというのは、バシャール的にはごく当り前のことです。

なぜなら現実世界は自らの「定義」や「観念」によって出来上がっていると言っても過言ではないからです。

なぜ?と発すると「定義」や「観念」が答として返ってくる。

そうすると、自分が持っている「定義」や「観念」に気がつくことができる。

なぜ?は自分の持っている定義や観念を発見するチャンスとなる。
定義や観念は気がついた時点で無力化、中立化される。

あとは、肯定的な定義や観念と入れ替えることで、肯定的な結果を得ることができる。

2014.11.24追記

ここで言うなぜ?との問いかけは、アドラー心理学でいうところの目的論、原因を探るのではなくその目的を探るのと本質的には同じ?

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