思考も情報もアイデアも、ただの波動としてこの宇宙空間を流れているだけ、誰のものでもない : 『空(くう) 舞い降りた神秘の暗号』をバシャール的に読む

思考も情報もアイデアも、ただの波動としてこの宇宙空間を流れているだけであり、誰のものでもありません。誰のものでもないのだから、その考えを採用しない場合は、ただ通過させればいいだけなのですが「これは自分が考えたのだ」と錯覚してしまうわけです。

以上、Mana (著) 『空(くう) 舞い降りた神秘の暗号』P.73より引用させていただきました。

ん?ということはですよ。
自分のこの思考でさえ、幻想ということですよね。
自分は考えていると思っているのは幻想で、本当は考えてはいない。

ただ、思考や情報を流してみて自分でそれを眺めているだけ。
観察しているだけ。

あるいは逆に、すべてはもうすでに存在しているのだから、当然ありとあらゆる思考や情報アイデアももうすでにどこかに存在してしまっている。

この状態では、どのような思考、情報、アイデアであっても、自分のオリジナルであるとは証明できない。もうすでにすべて出来上がって存在しているので、そこにさらに何かを創っての継ぎ足しは不可能である。

あと出来ることは味わうこと、感じることだけである……?

ここで先程のバシャールの言葉に戻ってみると

ハイヤーマインドはコンシーバー、コンセプトをつくるもの。脳はレジーバー、それを受信します。フィジカルマインドはパーシーバー、認知をするものです。そのコンセプトが物理次元に現れてきたものを認知するのです。 : バシャール スドウゲンキ

ハイヤーマインドは物理次元での実現化の司令塔に近い役割なので、これは自覚意識「空」に近いと言える。

脳はレシーバーなので、パイプの役目をしている肉体。

で、フィジカルマインドは認知するので、半分肉体で半分「空」が混ざっているようなそんなものと考えられる。

物理次元を観察するためには、自分で現実を創り出し、さらに現実の中に橋渡しになるような装置も創らなくてはならない。

現実だけを創ってもそれを味わうための肉体を現実の中に創らなければ、自分の創った現実を味わうことができない。

ジュースが飲みたくてジューサーでジュースを作った、でもそれを飲むための道具、たとえばストローがなければ、ジュースを飲むことはできない。

よってジュースだけを作っても、それを飲むためのストローまで用意しないと(つくらないと)味わうことはできない。

でも私達の肉体の場合は、パイプとしての役割と、受信機としての役割と、さらに感覚器としての役割も持っているので、ただのストローではない。

……と、散々横道にずれてしまった気がするが、一番大事なのは、観てるドラマ(現実という幻)にあまり過剰に感情移入をするな!ってことだろう。ドラマの主人公と視聴者である自分を同一視するな!ってことだろう。ドラマを楽しみたいのなら、観たいドラマだけを観ればいいじゃない?ってことだろう。

MIL5//1

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