感情と「至福」は無関係 : 『空(くう) 舞い降りた神秘の暗号』をバシャール的に読む

以下、Mana (著) 『空(くう) 舞い降りた神秘の暗号』P.75-76を参考に感情と「至福」は無関係であることをまとめてみたいと思います。

まず、私という「空」は、最初から最後まで至福以外の何者でもないということ。
だから様々な感情と私の「本質的な至福」は無関係である。

悲しい感情や不安感を感じている時は「自分は不幸だ」と思い込むが、その感覚は単なるデータ(プログラム)の一つ、概念でしかない。

感情やフィーリングは、言葉(思考)によって起きる単なる肉体反応(電気ショック)にすぎない。

だから、感情反応と至福は別のもの。

同書p.77には「感情や感覚と言葉をつなげないでください」とあります。

感情や感覚、気分は、ただそれだけのこと、そこに意味はない。(中立)
「言葉」と結びつけてしまうと、その言葉に縛られてしまう。

同書p.78にはこうあります。

「中心が定まって、観察する意識、自覚意識だけになっていれば、あなたは本来の至福そのものを実感しやすくなるのです。」

さて、ここで特筆すべきは、爽やかで気持ちがゆったりしていること、嬉しいと感じること、高揚感を味わうこと、ワクワクしたり安心したりも、すべて含めて、自分の「至福」とは関係がないそうです。

これはちょっと意外でした。
ということは、「空」の属性ともいえる「至福」というのは、感情ではない別の次元の”なにか”ということなんでしょうね。

肉体には起因しないもの、だから肉体がなくてもずっと存在しているもの、そういうものなのでしょう。 至福は肉体的な快不快を超越したそんな意識的な感覚なんでしょうね。

MIL32059

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