あらゆる批判も判断も手放し、すべてはただ「いのちの表現」であると理解するとき : 『空(くう) 舞い降りた神秘の暗号』をバシャール的に読む

あなたがあらゆる批判も判断も手放し、すべてはただ「いのちの表現」であると理解するとき、あなたは完全な神として、空(くう)として、適切な最愛のものを選択できるようになります。

以上、Mana (著) 『空(くう) 舞い降りた神秘の暗号』P.104より引用させていただきました。

これはまさに理想であり悟りであり目指すべきあるべき姿だと素直に思えます。

あらゆる批判も判断も手放すには、自分のこの肉体も含めて、観賞している3D映像に過ぎない、そう考えれば良いのかもしれません。

肉体も含めるというのは、肉体が感じるあらゆる感覚でさえ3D映像なのでしょう。
もっとも感覚は映像ではないですが。

あるいはこの現実そのもの現実全てがオンラインゲームであると考えるのも面白いかもしれません。私達はただこの現実というオンラインゲームを肉体というアバターを使って楽しんでいるだけ。

だからこのゲーム世界で感じるあらゆる感情は、本当は、オンラインゲームの中だけのもの。(あやこさんの言う地球のバイブレーション?)
プレイヤーである自分はその感情を実生活にまで引きずる必要はない。

本当の自分はオンラインゲームをただ楽しんでいるプレイヤー、鑑賞者、観察者なのだ。

……とそうなるのかもしれません。

M2//1

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