バシャールは時間は存在しないと言った。
でも、どう考えても変化はあるように思えるから、時間は存在するのではないか?
と考えて、はたと閃いた。
変化はしていないのに、変化しているように見えるもの……
それは何かと聞かれたら
たとえばアニメーションだ。
一枚一枚の絵は変化しないが、それを連続再生すると、変化しているように見える。
一枚一枚の絵を、ひとつのひとつのパラレルワールドと考えると、時間は存在しないのに変化があるように感じる説明がつく。
つまりアニメーションの一枚一枚の絵のように、無限にパラレルワールドが存在している。
その一枚ごとのパラレルワールドには時間は存在しない。
そこにあるのは永遠のいまだけだ。
しかし、意識というのは毎瞬毎瞬パラレルワールドを再創造しているらしい。
これは、おそらく毎瞬毎瞬意識がすでに存在している無限のパラレルワールドをシフトしていくのと同義であろうと思う。
ひとつのパラレルワールドから次のパラレルワールドへシフトしていくスピードがとてつもなく早いので(時間は存在しないので早いという言葉は便宜上使っている)、意識は連続して変化しているように感じる。それは一枚一枚の絵が連続再生されるとスムーズなアニメーションになるのと同じ理屈だ。
このモデルだと、時間が存在しなくても、変化があるように見えるはずだ。
つまり時間がないのに変化が在る世界を思い描くことが可能になる。
さてこのモデルで、先の記事の過去の痕跡の本質を考えると、この私たちが住んでいる次元のパラレルワールドの傾向あるいはルールとして、無限に存在するパラレルワールドではあるが、意識がシフトするときにある種の制限があると推測できる。
つまり、机を移動したときには、シフトするパラレルワールドには必ず少し移動した机が存在するということだ。たとえば、いきなり机が存在しないパラレルワールドなどへは意識がシフトできないのだろう。(これが集合的に決めたルール?ということか?)
※記録:2011年5月7日
時間が存在しないのに変化のある世界のモデルを考えつく
by 管理人
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