「むっつり」が習慣になっていませんか? – やん神を読書

どうせいってもわかってもらえないし……
いつも意見をいうと否定されるし……
自分の考えをいって嫌われたくないし……
なんていえばいいのかわからないし……
間違っていたら恥ずかしいし……

こんなふうに表現するまえに黙り込むことが習慣になっていませんか?

以上を、金城幸政さん著 『あなたのなかのやんちゃな神さまとつきあう法』の248ページから引用させていただきました。

はい!自分は滅茶苦茶そうなってます。

どうせ社会なんて何を言ったかではなく誰が言ったかを重視するし
自分の意見を言って否定された過去だけが思い出され、また否定されるのではないかと怖れるし
自分が本当に思っていることを言えば、おそらく嫌われるだろうなと思っているし
こういう場合みんなに合わせるにはなんて言えば良いんだろう?っていつも言葉がわからないし
もちろん間違えることは恥ずかしいことなので、必ず何度も確認する習慣だし

だしだしだしだし

まさに著者のいう通りのむっつり人間です私は。(^-^;

なので、こうやってブログを書く以外にはほとんど情報発信は、しないですね。

世の中のおかしいことを情報発信しても、どうせ誰も相手にしてくれないし、反応があったとしてもネガティブなものがほとんどだろう、という思いはありますね。

だから黙り込んでしまう。

でも

言っても分かってもらえないことがほとんどだろうけど、分かってもらえる可能性はゼロではない。
あるいは本当に分かってもらいたいなら分かってもらうまで主張すればいい話だし。

意見は否定されるのが当たり前ですね。特に一般人の発言だと尚更否定されるのが多いのではないだろうか。
というか意見というのは常に賛否両論がある。最初から全員が賛成する意見であるなら意見である意味がない。

自分の考えを言えばきっと嫌われるだろうから言わない、というのはどうなんだろう?
誰もが嫌われたくないけど、自分が嫌われるかどうかは自分では分からないはずだ。
他人が自分を嫌いだと判断する基準は完全に他人にあるので、自分には分からない。
よって他人に嫌われることを怖れていては自分の考えなんて言えないことになる。

こういう場合なんて言ったら分からない時、とりあえず何かを言わない限り、いつまでたっても何を言ったら良いかが分からないってことでしょうね。誰でも初めはそれを知らないのだから、やってみないことには、いつまでたってもそれを知らないままです。

間違うのは誰でも恥ずかしいけど、でも間違いを怖れていては、何も出来なくなる。
間違ったからと言って命をとられるわけでもない。

結局のところちっぽけなプライドがそれを邪魔するんでしょうね。
だったら何も言わないほうがプライドを傷つけられるよりましだと。

MIL17015

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