人間が神さまの話に夢中になるというのはマザコンのようなもの – やん神を読書

人間が神さまの話に夢中になるというのはマザコンのようなもの。だって、僕たちはもともと神の分身、つまり、神さまなのだから。

以上を、金城幸政さん著 『あなたのなかのやんちゃな神さまとつきあう法』の96ページから引用させていただきました。

私たちが神さまだって!?

って感じでしょうね。

私もそれに近いです。

バシャールはすべてが神であるとまで言ってますしね。

すべてが神なんだから、当然わたしも神です。

普通に神と言った時に、神は全知全能だということになっている。

神はなんでも知っているしなんでもできる。

だったら神である私はなんでこんなにも何もできないんだ?

となると思いますが、そもそも全知全能の神が何でもできる力を持ってして成したのが

このいまのわたし、ということなのでしょうね。

神は全知全能なので、なんにもできない存在にでもなれてしまう。

全知全能なんだから、良いことばかりでなく悪いことも知らなければ、神とは言えない。
なんでもできるんだから、できないという行為も、できなくてはならない。

知らない、できない、というのでさえ、知っていてできるのが、全知全能の神。

ということなんでしょう。

さすが神です。

できないでさえ、できてしまう。

知らないでさえ、知っている。

そう考えると、この地球は神さまが、できないという行為を体験するために創った。
この地球は神さまが、それを知らないという状態を体験をするために創った。

とそう言えるのでしょう。

というのは、それらの体験をして初めて、全知全能の神と言えるので。

しかし宇宙は無限なので、どうなんでしょう?
神の飽くなきこの探求はいつ終わりを迎えるのでしょう?

MIL14051

コメント

タイトルとURLをコピーしました