基本的に神さまは、とってもやんちゃ。笑いや楽しいことが好きで、冒険もしてみたくて、ときには、はめも外してみたい……。そんな愛着を感じさせる存在なのです。
以上を、金城幸政さん著 『あなたのなかのやんちゃな神さまとつきあう法』の13ページから引用させていただきました。
このことを「まじめに」考えると……
そんな馬鹿な!
ふざけないで!
となると思います。
だからこその「まさか、まじめに生きなきゃなんて、思ってませんよね?」(本書の帯に書いてあるキャッチフレーズ)になるんだと思います。
神さまのことなんか誰も証明できません。
だったらこの手の証明が不可能な話は、何を信じても特に問題はないことになります。
それぞれが信じたい神さまを信じれば良いし、誰か信頼のおける人の神さまを信じるのも有りでしょう。
だって生きている間は絶対に正しさの証明は不可能だからです。
死んでみないと、それが本当に正しいのかどうか分かりません。
いいえ死後の世界においても神さまの証明は不可能かも知れません。
ただこの物理的現実ではバシャールの言うように自分が意味付けたような現実を受けとる、それだけの話なのかも知れません。
だとすればどんな神さまを信じようが自由だし、ちゃんとそれぞれに、信じたような結果を受けとることが出来るでしょう。
コメント