あなたの願いがこれまでかなわなかった理由は、わざわざ複雑にしていたからなんです。
以上を、金城幸政さん著 『あなたのなかのやんちゃな神さまとつきあう法』の137ページから引用させていただきました。
複雑にしないで
雑念を払い、「ただ思う」だけ。
人は思った通りに思いをかなえる。
気にした分だけそこに気持ちが集中して、思った通りになる。
かなってほしいことだけを如何に念じるか。
……ということで、最大限意地悪く考えると、人は不幸になるために生まれて来たと言える。
この場合の不幸とは、いわゆる世間一般の物理的な不幸のことだ。
というのは、人の幸福や不幸は、その人の心の状態によって決まると言う定義を採用すれば、どんな物理的な環境であろうとも、人は幸福を感じることが出来るからだ。
先の言葉を言い換えれば、人は物理的な不自由を味わうためにこの世界に生まれて来たと言える。
なぜそんなことをしたかというと、意識の世界ではなんでもすぐに願いがかなってしまう完璧に自由な世界であり、それ故に、面白みのない世界でもあったからだ。
神さまである私たちは、わざわざ不自由である物理的な世界を創り、そこに不自由さを味わいに降りてきた。
出来ないことが出来るようになることが、面白くて楽しくてワクワクした。
出来ないことが出来るようになること。
不幸な状態から幸福な状態になること。
この物理的な世界では、それらが可能だった。
物理的な世界の目的もそこにあった。
初め出来ないから、出来た時に嬉しい。
初め不幸であるから、幸福になった時に嬉しい。
だからこそ何でもできる神さまである私たちは、わざわざ、出来ない世界、不幸な世界であるこの物理的な世界に生まれて来た。
だから、出来ないことは実は幸せなことだし、不幸であることも実は幸せなことだった。
出来ないからこそできる喜びを味わえる。
不幸であるからこそ幸福感を味わえる。
これらは、何でも出来る自由な世界である意識の世界では
絶対に味わえない感覚だった。
だからこれらは神さまの全知全能の証明でもあった。
神さまはなんでも知っていてなんでも出来なければならないのだ。
だとすれば、願いは簡単にかなわないほうがより幸せだとなる。
願いがポンポン簡単にかなってしまっては、この世界に生まれて来た意味がなくなってしまう。
この世界では、なんでも簡単に願いがかなうのはむしろ不幸である。
なぜなら願いがかなう時の深い喜びを味わうことが出来ないからだ。
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